早起きの三文教師

ジェフ・リンというミュージシャン、プロデューサーをご存じだろうか?
「ビートルズよりもビートルズらしい」とまで形容されたELOの中心人物として数々のヒット曲を飛ばした後、ジョージ・ハリスンの名盤 “Cloud 9” のプロデュース、Travelling Wilburysでの共演を縁として、彼は、1995年、ジョン・レノンが生前に残したデモ音源をもとに、残りのビートル達によるレコーディングを重ね、ビートルズの新作として ”Free as a bird”をプロデュースし世に送り出した。コーラスといい、オケといい、「今、ビートルズが存続していたら、こんな音を…」という楽曲になっていたことを覚えている。しかしながら、ジェフ・リンの真骨頂は「ひとりELO」でのビートルズ的な楽曲以外にこそあると思っている。
佐藤隆というミュージシャンを覚えているだろうか?高橋真梨子に提供した楽曲『桃色吐息』あたりはかろうじて記憶の片隅にあるのでは?
彼の80年代前半までの作品は、往年の欧米のロック、ポップスへのオマージュともいえるものであった。『北京で朝食を』を聞いたのが高校1年生か。『コスモポリタン』などは、イントロからして、もろにジョン・レノンの ”Woman” ではないか、というくらいのインスパイアされまくり楽曲だった。

  • もし、ジョンが今も生きていたとしたら、どんな曲を書くだろうか?

という想いがミュージシャンとしての創造意欲をかき立てるのもわかるし、ジョンのファンからすれば、そういう楽曲をもっと聴きたいということもわかる。私自身もこの時代の佐藤の楽曲が最も好きだったのだが、佐藤はそのスタンスを続けることを選ばなかった。そのままでは、決してジョンになることは出来ないし、せいぜいが80年代のビートルズといわれて終わりだろうから。その意味では、『桃色吐息』は選択肢として大正解だったといえる。私はカラオケでも歌わないけれども…。
さて、
昨日のエントリーで言及した英文の小論と講演録を読んだ。

  • 英語と仏語を日本語と同様に扱い、最先端の文学批評理論に通じた、漱石を暗記するくらい読み込んでいる、極めて高尚な文体を駆使する女流清水義範

というのがこの人に対する私の印象だったのだが、コーネル大での講演を読んでいて、「新人賞」の林立を記述する辺りからの筆致は、正直うんざりした。なんだかなぁ〜。この人は処女作で芥川賞が欲しかったんだろうか。それとも、

  • ノーベル賞を小林・益川両教授に授けたことで、ノーベル賞の株が上がった

といわれるのと同様の評価が欲しいのだろうか。

文学と批評理論の関係や作家と評論家の関係を考えた時に、現代の大衆音楽であるロックやポップスは、大衆文化としての歴史が浅い分、逆に文学が今置かれている状況よりも進化した段階にいるように思われる。先日、BGMで貼り付けたThe Last Shadow Puppets などは、60年代へのリスペクトを踏まえた上で、「自分たちの今」を映し出しているユニットだと思う。彼らを聴いて、スコット・ウォーカーの劣化コピーだとか、映画のサントラの焼き直しだとか、今更マージー・ビートかよっ!とか、言っているのでは、音楽を楽しめはしないだろう。身軽になった分、気軽になった分、楽しみ方はより重層的になったとは考えられないだろうか?だって、ペイル・ファウンテンズが出てきた時も、フリッパーズが出てきた時も、ニール・ハノンが出てきた時も、みなそうやって楽しんできたはずなのだから。

U2というバンドを聴いたことがあるだろうか?REMと並び90年代から今世紀にかけてのロック音楽を支えてきたベテランバンドであり、今も現役である。もはやビートルズの影響や言及を必要としないこの大御所の「今」の活動をしっかりと目に焼き付けておきたい。

インフルエンザの流行に県でも注意を促している。
授業の持ち駒も含めて、自分のHR教室に居る時間が一番長いので、加湿器を購入。当然自腹。ハイブリッドで朝一の授業からでも対応できるようにと思ったのだが、購入早々、天候は雨続きで、効果が今ひとつはっきりしないのが少々不満だったが、日曜日になってようやく晴れ間が見えてきたので、週明けの授業が楽しみ。健康一番。
本日のBGM: 三文ソング(大滝詠一)