I’m in a totally different ball game.

中国・台湾・香港など春節で大賑わいなのだろうとイマジネーションを働かせつつも、初代PBG4 12 inchのキーボードの”j”が利かなくなってきて、とっくのむかしに”l”もパンタグラフがぐらついているのと併せてとってもストレスフルな入力を強いられている、どんよりした空と同じくらい浮かない心持ちの今日この頃、みなさんいかがお過ごしですか?
授業は何と0限の高2のみ。多くは語りませんが、

  • 原点に戻るとか、振り出しに戻るとか、そのこと自体には全く意味はない。そこから、本来行くべき所へ自分の力で辿り直すことに意味がある。いつまでたっても、振り出しに戻りっぱなし、というのは甘えに過ぎない。

という趣旨の説教をば。
明日は高校入試で、午後は準備のためカットになるので、高1は授業無しに。入試の時は自宅学習日になるので、課題に恒例の「ジェニーちゃん」を配布。まずは自力で読めと指示。
昼食後に大掃除と会場設営。
学級文庫とCD、ラジカセデッキなどを片付けるのに結構時間がかかった。
係の事前打ち合わせや志願者一覧の確認などなど。公立時代とも、東京の私学にいたときとも流儀が違うので、これも経験だと思って頑張ります。あまり詳しくは書けませんので入試関係はこの辺で。

  • 近藤健一郎編『方言札 言葉と身体 沖縄・問いを立てる-2』(社会評論社、2008年)

をパラパラと読み始める。
私は教師になってから、三省堂のブックレットか何かで中村敬氏が書いたものを読んで、初めて方言札のことを知った。ことばを生業にするものとしては誠に無知というか、無恥というか、お恥ずかしい限りである。
執筆者は6名。テーマは「身体の矯正」だが、それぞれの専門は多様である。音楽を重要な位置づけとしているのが興味深い。

  • 近藤健一郎・村上呂里・三島わかな・仲里効・戸邉秀明・伊佐由貴

シリーズとしては全6巻となるもののうちの第2巻。じっくりと向き合いながら、自分に響いたことばを取り上げていきたい。今日は、小学校の教師が指導の際に用いることばに関して、次の一節を引く。

  • ここには、沖縄語との対訳によってではなく、動作などによって、標準語を教えるべきだという指導方法に関する考え方があり、その指導方法を示すことによって、沖縄語を介する指導法を批判、否定したのであった。それは、字度欧の言語実態について、沖縄語による対訳なしに「十分了解スルコトガ出来マイ」と把握したうえでの指導法が否定されたことを意味している。教授細目において沖縄語による対訳を認めていた尋常小学校第二学年においても、一九0四年段階においてこのような事態が生じていたのである。(同書 p.36、)

さて、
神奈川大学の久保野雅史先生から急遽、「私の授業を見たい」というメールが来たのだが、スケジュール案として示された3月初旬は私の勤務校ではもう授業がなく、期末試験の時期に入ってしまうということで、泣く泣く来年度にお預けに。授業を見てもらうなら『英語教育 2004年1月号』(大修館書店)の「愉快な仲間たち」で紹介した授業以来、お会いするのも昨年9月のフォーラム以来で、せっかく久保野先生とじっくり、しみじみ語り合えるチャンスだったのですが…。このブログをお読みの方で、3月上旬に授業見学の受け入れが可能な方がいましたら、私の代わりに引き受けてくれませんか?
妻が整体に出かけるので、娘と留守番。
予め用意してくれていた鍋をつつく。
『水戸黄門』に若村麻由美。役名は貴和(の方様)。時代劇には欠かせない女優さんですね。『篤姫』での配役はいただけませんでしたが。『御家人斬九郎』の蔦吉姐さんはよかったなぁ。ああ、時代劇チャンネルが見たいっ!

本日のBGM: 国民の煙草新生(鈴木慶一 / The Lost Suzuki Tapes)