パブリックコメント締切は1月21日(水)。必着。

高2は、昨日の続きで第6問の解説。「読むこと」へのこだわりというより、「使い物になる読み方」へのこだわり。”crucial” を学級文庫の英英辞典数冊で示し、各自確認。『ワードパワー英英和』(増進会出版)の特徴を補足し、見た目は悪いがコンセプト、理念は他とは一線を画することを指摘。英英での定義説明が必ずしも語義の本質にアクセスできるとは限らないことは例えば、『COBUILDスクール版米語中級辞典』の次の ” few and a few” の記述でも分かろうというもの。

  • Be careful to use few and a few correctly. Few means “not many,” and is used to emphasize that the number is very small: He had few complaints about his workload. A few means “more than one or two,” and is used when we wish to imply a small but significant number: He had a few complaints about his workload. (p.342)

このような解説だったら、英和辞典の記述の方が余程語義の本質に迫れると思うのである。

高1は、サイドリーダー『Chris Moon』(啓林館)でほぼ同様の趣旨の活動。少々手取り足取りで、読む際の頭の働かせ方を、問いかけ、「範読を披露」し、実感、共有してもらう。レベルとしては検定教科書のBook 1よりも少々難しいですから、こんなところで容易に躓きます。

  • I am sometimes asked, “Can’t the work be done more scientifically, or with machines?” I have to admit that doing the work manually seems slow and ineffective. But if machines are used, the success rate is only 90%. Besides, vibrations from the machines may cause mines to explode.

引用符の中の受け身の必然性、more scientificallyの比較の対象、scientificallyという一語の副詞とwith machinesという副詞句のバランスなどを解説するのは日本語です。ここで、「もっと科学(の力)を使って」と「機械を使って」という日本語を援用して副詞のイメージを持たせることが、次のdoing the work manuallyでの副詞 “manually” を”done by hand”とか”with your own hands”というパラフレーズに繋がり、段落後半のif machines are usedの”use” の伏線となる。というようなことは流石に私にも英語では上手く説明できません。もっとも、このサイドリーダーの英文を読んだ後で、教科書のBook 1に戻りますから、そうすればもっと容易に (=effortlessly) 「英語は英語で」読解ができるのではないかと期待はしているのですが。slowのマイナス評価から、ineffectiveとのペアを確認し、Butでの筆者の焦点の在処を問い、onlyに着目し(下接否定とか否定対極表現などという用語は使いませんが)、besidesではそのマイナス評価の更なる積み重ねを予測させる。こんな風に自分の守備範囲を少し超える素材文でも、何とか対処できる読みの視線、基本姿勢を育てているところです。最後は理解した範囲の黙読と音読。
そうそう、授業と並行して『P単』での語彙学習は教科書レベルより1,2歩先行しています。

さて、
「パブリックコメント」をまとめました。
平成20年12月22日に発表された高等学校指導要領改定案の外国語・英語に関して以下の4点に関して私の意見を提出しましたので、ここに報告します。

意見:
1.「英語力」「コミュニケーション力」に関わる具体的な記述をお願いします
2.「読むことにより目標言語を学ぶ(Read to learn (the target language) )」ことの過小評価を見直して下さい。
3. 母語の積極的な活用を明示して下さい
4.「文構造」の定義・実例を明示して下さい

以下、詳述します。
1.「英語力」「コミュニケーション力」に関わる具体的な記述をお願いします

  今回の改訂案では、「コミュニケーション英語I」という必修科目を設定している一方で、「英語会話」という科目も作っています。ということは、「コミュニケーション」=「英語会話」ではないということを示している、ということだと理解します。新たな科目の「英語会話」の方が現行の「オーラルコミュニケーション」の発展的解消になるのだとすれば、新たな科目の「コミュニケーション英語I」は現行の必修科目である「英語I」と「OCI」を併せたものであってはならないと思います。
   「コミュニケーション英語I, II, III」という階層で示されている一連の科目で養成する「コミュニケーション力」とは具体的にどのようなものなのか、そして、それが、高校卒業段階で求められる「英語力」の総体とどのような関係にあるのか、その関係、整合性を指導要領のどこかできちんと記述するべきだと考えます。もし科目名の「コミュニケーション」という言葉で他の科目との指導内容の差をはっきりと示すことができないのだとすれば、科目名は中学校と同様に「英語」のまま、階層を「I, II, III」とするだけで十分であると考えます。
   欧州のCEFRのような参照枠を模するにせよ、英国のナショナルカリキュラムのattainment targetsを模するにせよ、Canadian language BenchmarksのようにCan-do型の記述を模するにせよ、日本の言語教育政策・外国語教育政策が目指している技能・能力の発達段階の大まかな目安を示すことこそ、学校種が多様で、習熟度に大きな幅のある日本の高等学校現場、教師、生徒の双方にとって優しい指導要領になると考えます。

2.「読むことにより目標言語を学ぶ(Read to learn (the target language) )」ことの過小評価を見直して下さい

 中教審の外国語専門部会の第18回の審議では山岡委員から、「読むこと」の言語活動が退行しないように、という意見が出されていたと記憶しています。しかしながら、「コミュニケーション英語II、III」でも「英語表現I, II」でも、「読むこと」が持つ優れた学習活動としての側面を過小評価しているように思えてなりません。
 どの言語であっても、「ネイティブスピーカー」は存在しますが、「ネイティブリーダー」や「ネイティブライター」は存在しません。「読むこと」(そして「書くこと」)は須く学習や教育の成果であるのですから、外国語教育においても、とりわけ学校教育で扱う限りは「読むこと」(そして「書くこと」)に特段の配慮を欠かすことは本来的、本質的に誤りであると考えます。
 とかく批判を受ける訳読や遅読を排除しようという意図は理解できますが、そのことで「読むことによって語彙や文構造に習熟する」という重要な学習活動がカリキュラム、シラバスから抜け落ちてしまうことを危惧します。この部分の言語材料そのものの「学習」が保証されて初めて、読んだり、聴いたり、学んだりした内容について意見を持ち、それを表現できる力を養うことが可能になるのだと考えます。
 とりわけ、新語数が増えている改訂案では、教科書での新語の出現率を低く押さえる意味でも、繰り返しの学習に堪える「読むこと」の教材の見直しが必須の課題であると思われます。単純に教科書のページ数を二倍にするというのではなく、言語習得の分野での専門家の叡智を活かして欲しいと考えます。

3.母語の積極的な活用を明示して下さい

 「英語の授業は英語で」という文言がメディアでも大きく取り上げられていますが、巷でいわれる「オール・イン・イングリッシュ」に固執することで失うものも出てくると感じます。
 日本語を母語とする生徒であれば、すでに身につけている日本語の知識を活用する、日本語と対比させる、または日本語で説明した方がわかりやすいことにまで、英語を使う必要はないと思われます。教師が英語を使うこと以上に、生徒の活動の時間を多く確保し、その時間を使って行う多種多様な活動を通して、いかに充実した豊かな学習を生徒に保証するか、ということが最も大切なことだと考えます。
 そのためには、高校段階においても、いや高校段階だからこそ「ことばへの気づき」を促し、強化することが望まれます。生徒が既に持っている母語を活用する、という視点こそ、明文化を望むものです。

4.「文構造」の定義・実例を明示して下さい

 すでに公示されている中学校編で「文型」という用語が消え、「文構造」という用語に取って代わっています。今回、これが高校でも踏襲されたようです。第3款の3.で示される文言を読む限り、いわゆる五文型の指導が重箱の隅をつつくようなものとなり弊害があるという評価がされたのかと推測しますが、ここでいう「文構造」というものが、動詞型だけでなく、名詞型や形容詞型も含めた構成概念なのか、また、その他の「文法事項」で示されるものは全て「文構造」を持たないものなのか、など詳細・全体像がよくわかりません。  
 どのようなものに「文構造」というラベルを貼り、整合性をもって説明しようというのか、中学編の「文構造」の記述を踏まえた上で高校編においても実例をあげた上で発展的な記述をすることが必要不可欠であると考えます。
 総じて、今回の改訂案の記述からは、言語材料は「扱う」もの、「用いる」ものであって、「学ぶ」ものではない、とでもいうような理念・哲学を感じますが、「学習指導要領」である以上、「学習の支援」「学習の学習」といった側面により多くの光を当てた記述が盛り込まれることを希望します。

 未来を造り、担う新たな世代に豊かな学びを保証するためにも、市民の声を反映した、より良い指導要領が作られることを祈っております。

パブリックコメントを提出しようという方へ、様式は以下のアドレスでpdfをダウンロードし、ご確認下さい。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=Pcm1030&btnDownload=yes&hdnSeqno=0000047271

夕飯は私のリクエストで久々のカルボナーラ。ちょっと身体の節々に違和感があり、風邪の気配がしていたので、大蒜を少し利かせてもらった。美味。ワインが欲しいくらいだった。
『中央公論』2月号が「大学の絶望」という特集だったので、買ったのだが、

  • 生誕100年の作家たちを読み直す

という加藤典洋・関川夏央・高橋源一郎の座談会に心惹かれて…。
『文藝』春号も、遅ればせながら入手。これはもう少し後で読もうと思う。

本日のBGM: Eventually (Carole King / The Carnegie Hall Concert)