Frog’s Leap

ELEC同友会の研究大会から無事生還。
前日準備と打ち合わせのため土曜日に飛行機で上京。日曜日が終日大会。生憎の雨にも関わらず延べ550人の参加者。月曜日の朝一の飛行機で山口着。空港から車で直接学校へ。高3のコマに穴を空けられないので、教務に無理を言って3限からで間に合うように時間割変更。疲れました。授業では早速、今大会の講演者である門田修平氏から学んだシャドウイングと音読の効能に関して解説。この門田氏の話はどこかで誰かが書くでしょうから詳しくは記しません。
その後、先週扱った「東大リスニング」の素材の復習と、ディクテーション。新教材の導入。今回は「否定」をどう意味処理に活かすか。
高1も、シャドウイングと音読の効能を話したが、「便所の100W」の喩えと「マトリクス」のマネをして補足。残りの時間で『フォレスト』を使っての文法学習での「肝」を。

  • この例文だとわかる、操作できる、日本語から英語の文が作れる、でもこれだとわからない。こっちはわかるしできるけど、これだとわからなくてできない。
  • この前、やったこの例文と、今度のこの例文のどこが違うのかわからない。
  • これだと、今までにやってきた、この大きな原則・ルールに違反しないのか?

という思考の跡をかならず残しておくこと。これをやらずに「わかりません」というのは甘えでしかない。逆に言えば、これが最低でもできるように、『短単』での基本語、『ぜったい音読』での基本文例というものを徹底してきたわけである。
高2も、同じ話し。で、そういう科学的知見を踏まえて、教室ではどういうトレーニングをするのが一番いいのか?という問いかけ。そりゃ、高1から、ここまで私が授業で扱ってきた、対面リピートやイカソーメンなど一連のトレーニングメニューに決まっているじゃないですか。
HRで進路学習を進めているので、最新の研究成果を紹介するだけでなく、日本の英語教育系学会での、研究の傾向というか、研究発表の傾向というか、なくて七癖というか、そういう話題も提供しておいた。
これは、研究大会のライティング分科会の締めのことばでも発したことなのだが、

  • 海外での先行研究を日本に紹介するだけではなく、その新たな知見に乗っかって自分で何か仮説を実証して、これは今まで日本では行われていないでしょ、本邦初です、よろしく。

とか、

  • 先行研究や文献で扱われている国内の研究は、自分の論文または自分の師匠や弟子筋のみ。

などという発表を、日本人研究者が集まった席で披露し合っているだけで、お互いの研究に切り込んだりしないというのはもう止めにしましょう、というのが偽らざる心境である。たとえば、ライティングに関しては、JACETの関西支部で、5年にも及ぶプロジェクトが90年代に行われていたのだが、このレポートが最近の論文で引用されることはほとんどない。では、それほど引く価値のないものだったのか、といえばそんなことはないのである。トレンドを追うのではなく、地道にテーマを追求していれば、批判的検証であれ、追試であれ、様々なヒントを提供してくれるプロジェクトであったのは確かである。ELEC同友会のライティング部会でも2001年には、1994年の関西の大学新入生への実態調査結果と比較できるように、同じ項目でライティング学習の履歴から推測するライティング指導の実態という観点で、アンケート調査をしたことがある。

  • 公立高校の代表と言うことで、都立日比谷高校
  • 国立大学の附属高校代表と言うことで、筑波大附属駒場中学高等学校とお茶の水女子大附属高等学校
  • 私立高校の代表ということで、早稲田実業高校と桜蔭中学高等学校

といった進学校と目されている高校の2,3年生のデータを取り、指導要領が変わり7年という時間の経過で、指導実態に変化があるかを見ようとしたわけである。(もっとも、大会の分科会でその結果を比較して発表しても何の反響もなく終わりましたが…。)
その分野で何がわかっていて何がわかっていないのかを知ろうというときにパイロットスタディーは重要なのである。中学・高校段階でのライティング指導・研究を考える時に、その部分の知見や考察が蓄積されないまま、新しい概念や理論だけが次から次へと輸入されるのは正直困るのだなぁ…。
今年の大会のライティング部会のテーマは「ライティングの自律学習教材」ということで、「教材論」に足を踏み入れた。大海原に漕ぎ出た、とも言えようか。
キーワードは
・ 内容に繋がりとまとまりのある作文の中で課す一文完成
・ 「和文英訳」の前段階での日本語の書き換え
・ 書いた後で自己訂正をするための誤りの認識
若手を中心した企画であり、細部に多々課題はあるものの、反響は今のところ上々のようである。
日本語の書き換えに関しては当部会のオリジナルではなく、柳瀬和明氏の「J1→J2→E2→E1」というコンセプトを受け継ぐ部分が大きい。この考え方もすでに柳瀬氏が90年代に高校生を相手に実践されたものが、参考文献で上げた2冊で形となったのである。(私は同僚として間近でその実践を見ていたわけだが…)
日本語を変換するという手法は、以前より「和文和訳」などという言葉で入試問題を解く指導の際に使われているが、そもそも大学入試対策の参考書や問題集で扱うのは「頻出過去問のデータベースにある日本語の語彙・構文」であって、「日本語で何かを表現する時に必要不可欠で、最も自然な語彙と構文」をもとに英訳教材が作られているわけではない。日本語の特徴を踏まえた「英作文」の方法論では、古くは水谷信子氏の日英比較の著作があるが、最近では顧みられることが少ないように思う。日本語コーパスをもとにした英訳教材という視点で、最近の和英辞典がどのように作られているのかを精査・吟味することにも意義はあろうかと思う。
私は大会部の係で指定の会場に張り付き、緊急事態に備えるということで、語彙指導部会の発表は見られず。おかじゅんの話では盛況だった模様。流石。
大会でのハイライトはビデオによる授業研究。石井亨先生。安定感抜群で無理がない。焦点がはっきりしていて力みがないといえばいいだろうか。流れるように進んでいくが、そこでやっている技術、やれている活動は凄いという、教師としての習熟の一つのモデルを見せてもらったように思う。学生や若い教師にはわかりにくいだろうなという舞台裏に関しても資料に細かく記してくれていたのも有り難かった。最後に一つ「導入と定着」の観点で質問をさせてもらった。終了後、「いい質問してくれてありがとう」とお褒めの言葉を頂く。講評の名和会長の話で、出てきたconsolidationでの想起の手法、「黒板のこの辺に書いたんだけどなぁ」などといって生徒から学習した内容を引き出す、というのは、私が普段の授業でやっていることなのだが、これも20年ほど前、ELEC総本山が神保町にあったころの研修で名和先生から直接教わったことだったので、懐かしかった。
懇親会では、例によって話をしてばかりで、ほとんど何も食べず。メインのプログラムの多くを見ることなく、会場準備やセッティングで尽力してくれたスタッフに感謝。自分のteacher’s beliefsを揺すぶったり、確認したりできる濃い話ができたのは収穫。お酒は、S先生の差し入れの獺祭の大吟醸が絶品。ワインは自分で持っていったジンファンデルがやはり自分の口にあった。ただ甘いだけではダメと言うことか。
年次大会が終わり、自分を育ててくれた「現場」を離れて、今の自分の現実へ。イベントからコンスタントへ。魔法はない。等身大の、普段着の、素顔の自分と向き合う日々がまた始まるわけである。
本日のBGM: The Frog Princess (The Divine Comedy)