I may be wrong.

三省堂は以前、『ぶっくれっと』なる小冊子を出していた。
結構気の利いた雑誌のように、中身の濃い連載、特集を届けてくれていた。
惜しまれながら廃刊。アーカイブで一部を読むことが出来る。
その連載のうちのひとつに、林望氏のものがあった。私が気になった回を引く。(http://www.sanseido-publ.co.jp/booklet/booklet137_hayasi.html

  • 文学の、そして学問の徒として生きて行くということと、受験問題を作るということは、かくてどうしても矛盾せざるを得ない。そういうことに気が付かないで、漫然と入試問題を作っている教師がいたら、それは、所詮文学とは無縁の衆生であると言ってよい。

私は、この人の、「自らは高みに身を置いて」発言するような姿勢が受け付けない。嫌なら、断ればいいのだ。やるなら、良いものを作ればいいのだ。入試に迎合しない、隷属しない生き方、付き合い方を模索するのが先決だろう。立場を異にすれば、進学校に身を置きながらも、受験指導の先を見据えて日々奮闘している教師・講師の抱えるジレンマに比べれば、所詮は「選ぶ側」の贅沢な悩みである。
彼は自らの肩書きを「作家」としているわけだが、さすがに、今では彼の文章を現代文の入試に出題するような大学はないのではないか。作家の三田誠広、大学人の石原千秋などの姿勢と比べる時、林某氏の物言いはスノビッシュというか、セレブ気取りがいささか鼻につくのである。

さて、とある教材の問い合わせで、編集部経由ではなく、著者より直接メールが来ました。(この著者からの回答に関しては編集部は知っているのかしら?)
今回、疑義を挟んだものから10例ほどを選び私の代案と共に示してみます。(私の見解に対する、ご意見・ご批判は、コメント欄ではなく、左のアンテナを入ったところにアドレスがありますので、そちらから直接私宛のメールでお願いします。たとえ、どんなに批判的・否定的なご意見であれ、後日、ブログのエントリーで必ず反映させますのでご安心を。)

1. To my sad, I am accustomed to being told off by my teachers.
※明らかな誤り。
→ To my sadness, I am always told off by my teachers.
  To my (great) sorrow, I am accustomed to my teachers' tellings-off.

2. Mr. Sato is young but able. He is, what is called, a man of promise.
※ what is called はカンマでくくる挿入節としては使わないのではないか。
→ Mr. Sato is young but able. He is what is called a man of promise.

3. Since I had seen my uncle several times, I realized him soon.
※それまでの経験があるが故に認識する行為を recognizeというのではないか。recognizeは know who's who/ which is which。realizeの目的語は「ことがら」、無から有へ。
→ Since I had seen my uncle several times, I soon recognized him.

☆4. It goes without saying that regular exercise is the best means of dieting.
※ dietの語義。「減量」という意味は基本的にない。「減量のための特定の食餌(をとること)」であろう。
→It goes without saying that regular exercise is the best way to keep fit. (あるいは of losing weight)

5. If my car was not out of order, I would drive you to the station.
※個人所有のものに、(be) out of order は通例用いないのではないか。複数・公共の利益に供するものの機能不全を表すのが標準的用法であると思われる。
→ If my car was not broken, I would drive you to the station.

6. It is no use trying to talk him into giving up smoking.
※ 受験頻出表現ということで、<talk 人 into名詞相当語句>を使うことにこだわりすぎて、シンプルに言えるものを難しくしているのではないか?
→ It is no use trying to persuade him to stop smoking.
It is no use trying to persuade him out of smoking. (この最後の例は、容認度が下がると思われる)

7. I make it a rule to read a book before going to bed.
※堅苦しく、仰々しい表現。現在、どの英和辞典を引いても、日常的な話題では、以下の代案で示すような表現を薦めているはず。
→ I read a book before going to bed.
I always read a book before going to bed.
I always try to read a book before going to bed.
As a rule, I read a book before going to bed.
    ※→a book 「雑誌などではなく常に本」で「まるごと1冊」という文脈になるとの指摘。

8. Would you bring me some magazines for me to read?
※動作の対象としての間接目的語と不定詞の意味上の主語を同時に取り立てる必然性があるのか。
→ Would you bring me some magazines? *→to readがあることで用途が明確になるのでto readはあった方がよいとの指摘。
Would you bring some magazines for me (to read)? *→これは不可。

9. Not knowing what to do, we were at a loss.
※簡潔に言えることは簡潔に。Oxford系の定義では at a loss = not knowing what to do or sayとしている。言ってみれば、「どうして良いか解らず、どうして良いか解らなかった」と言っているに等しいのでは?
→ We were at a loss (about) what to do. *(about) はない方が良いとの指摘。

10. Ted is , so to speak, our hero.
※so to speakは耳慣れない形容や比喩などを導く緩衝材として挿入句として用いる。したがって、Tedとour heroの文脈が与えられないと全く不自然。『新グローバル』(三省堂)では、 a wise fool(賢い愚か者)など適切な用例をあげている。
→ Ted is, so to speak, the one who we love to hate. *この例を高校生に暗誦させるには不適切との指摘。

11. When we judge from the look of the sky, it is likely to rain.
※ 分詞構文への書き換えの元の文として与えられているが、この英文自体が論理性を欠き英語として不適切。分詞構文を節に書き換えさせるものよりはまだましだが。祈祷師とか雨を呼ぶ人たちの集団について述べた文ではないだろう。
※ Whenをifに代えても不可。この項目は、ガレス・ワトキンス氏が随分前に指摘済み。
→Judging from the look of the sky, it is going to rain. この分詞構文には対応する節を持った書き換えの文は存在しない、というのが定説であろう。

☆12. I’m going to make every effort for the purpose of realizing my dreams.
※make effortのコロケーションは具体的な行動・動作なら不定詞ではないか。
→ I’m going to make every effort to realize my dreams.

このうち、1.-3.までは増刷の際にあらためるとの回答を得ましたが、それ以外は、「生徒に是非とも覚えさせたい」とのことで、そのまま「お手本」として世に出続けるようです。とりわけ、☆のものはCDで暗誦例文として位置づけられていますので、これを暗誦して、自己表現などで使われることは少々心配です。
著者からの回答では、

  • dietingは「減量」の意味でも用いる。
  • out of order は 個人所有のものについても、My computer is out of order. などと雑誌では普通に用いられている。

という理由で、生徒に覚えさせたい例としているようです。
長文の中での対話例とか、インタビューでの文法的整合性が崩れた口語表現の収録などであれば、目くじらを立てるつもりはさらさらないのですが、「英作文」とか「アウトプット」として、この教材を「お手本」とするために作るのであれば、もっと慎重に例文の吟味をするべきだろうと思っています。編集部には、native informantsのコメントは英語のままで知らせて下さい、と頼んでいたのですが、結局、例文を精査したという英語ネイティブのコメントは聞くことはできませんでした。

ことほどさように、ライティングの教材を作るのは難しいのである。
例えば、東京書籍のライティング教科書Prominenceでの編集会議での綱引きは、東書のサイトで読むことが出来る(http://ten.tokyo-shoseki.co.jp/downloadfr1/htm/hee58345.htm)。製品を世に問う前に、外部コメントに晒されて、揉まれて、叩かれて、練り直してその後に日の目を見るのが検定教科書である。このサイトで中邑先生が書いている内容は、楽屋ネタであり、本来披露するべきものではないと個人的には思うのだが、誠実な姿勢から出たものであるということは言える。これは、当然のことながら、出版前のやりとりであるから、出版して世に出たあとの内容の修正・訂正は全てのユーザー、とこれから先ユーザーになるかも知れない者に対して開かれていなければならないだろう。その意味では、個人サイトであれ、ブログであれ情報を公に示すことが出来るこの時代を喜ぶべきなのだろうと思う。
受験用の教材は違うのだ、というのであれば、竹岡氏が数研から出している英作文のテキストの教授用資料を合わせて読むといいだろう。和文英訳に関して言えば、文脈や場面設定の吟味が徹底していて、他の教材とは編集の姿勢からして一線を画するものである。(過去ログ参照→http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20071007
受験であれ、高校教育であれ、「ことばの教育」というものの原点を今一度振り返ることをここに強調したい。自分の生徒に使わせる教材は、やはり少しでも良いものを選びたいのが教師の性だろう。過去ログでも示した、小田実の姿勢に見習いたいものである。普段はあまりしないことだが、大事なことなので、厭わず再録する。

  • 「自分に至らないところが確かにあったかもしれない。それが間違いなのであれば、正しいことを伝えなければいけない。どうすればいいだろう?一緒に本を作らないか?」/つまり、批判を排除しないのです。(中略)この考え方、思考回路が常識主義であり、間違い主義なのです。他人も自分も、みんなチョボチョボの人間だから必ず間違いは犯す。だったら間違いを指摘してくれた人と一緒に行動したら、間違いが少なくなる。(井上ひさし他『憲法九条、あしたを変える 小田実の志を受けついで』岩波ブックレット)

本日のBGM: You may be right (Billy Joel)

※2014年8月1日追記:
たまたま書店で、ツルツルの表紙の真新しい本を見かけて、「ひょっとして増刷?」「じゃあ、とうとうあの変な英語は学習者の目に触れなくなるんだな」と思って頁をめくりました。奥付を見ると、2013年12月に増刷で、「第2刷」になっていましたが、「増刷の折に直す」と言われていた、上記1−3は全く修正が施されていませんでした。それ以外は推して知るべしだと思います。そのために、私の反応は更にマイナス方向へと振れる結果となっていますが、争点は変わらずです。小田実の言葉など、響くことのない人なのでしょう。
ただ繰り返すのは、いつもこのことば。
「より良い英語でより良い教材」。

※2016年10月1日追記:
このエントリーで取り上げた本の著者から私宛への回答メールの内容をこのエントリーに書いたことで、「私信を公開した」と大変ご立腹とのことで、こちらでお詫び並びに弁解をさせていただきます。
大変不愉快な思いをさせて申し訳なく思います。その点はお詫び申し上げます。以下、弁明。

私からの「私信」の最初と最後には次のように書いて、ブログとレビューに書くことをお伝えしてあったと思うのです。

                                                                                                                                                        • -

編集部宛の質問に、著者より直接回答を頂きありがとうございます。
松井孝志です。
現職は高校の英語科教諭です。tmrowingのハンドルネームでも言論活動をしておりますが、常に身元は明かしております。ベネッセコーポレーションの東大特講リスニングを執筆した経緯から、東京で一度先生には会っており、名刺も頂いております。
私も、マテリアルライターの端くれとして、市販されている書籍への疑義は、編集部を通して、著者として回答しておりますので、今後も、このような形を取らせていくことになろうかと思います。
(中略)
私はライティングを専門としておりますので、ひとつの例文に、いわゆる受験必須の表現を押し込む形で生まれる不自然な英文が、優秀な高校生・大学生の英語力を伸ばすことに対するマイナス要因であると考えております。良質の英語素材のインプット、インテイクそして、英語として適切な(いわゆるネイティブライクということではありません)表現によるアウトプットをいかに促進させるかが、英語教師としての自分の役割であると思いを新たにいたしました。
取り急ぎ、ご回答の御礼まで。
アマゾンのレビュー、わたし自身のブログでも、この経緯を残しておこうと思います。
松井孝志 拝

                                                                                                                                                              • -

その後何も返信がなかったので、この件に関してはてっきり了解済みだとばかり思っていました。
私の不徳の致すところです。
今後は、メールの文面をそのまま示すことのないよう、「内容」を要約して書こうと思います。
また、メールの文面の読み落としがないか、必ず編集部、著者も含めて当事者への確認を怠らないよう気をつけたいと思います。