「壊れたボートで一人…」

世間的にはお盆休みか。
英語教育関連全国大会も一山超えた観がありますが、ELEC同友会のサマーワークショップはこの週末の16日〜18日に、英授研のサマーセミナーは週明けの18日、19日に予定されています。受講する方は暑さに負けずに頑張って下さい。受講者の締め切りはもう過ぎているかと思いますが、マイクロティーチングを行う数少ないワークショップですので、研修を希望する方は来年に向けて候補に入れておいては如何かと。語学として英語を教える際の自分の基礎技術の見直しに効果があるやも知れません。
斎藤兆史氏などが「指導法云々の前にまずは教師が英語力を上げることから」というのは一面の真理だと痛感しています。
高校生が基礎をやり直すのに中1レベルまで戻っても3年分戻るだけで済みます。では、大学4年生が教職を前に基礎に戻るとすれば何をやり直せばいいのでしょうか?さらには、既に教職に就いているものが、基礎を見直すとしたら?
語彙と文法の見直しをすることから始めて見てはどうでしょう?
千野栄一先生が言われたように、語学学習で何が決定的な要因かと言えば、語彙と文法です。しかもこの順番で。ということで今日は語彙について少し持論を。
語彙リストや語彙テストの整備は近年進んでいます。にもかかわらず、語彙指導に関しては、決定的なもの、唯一絶対の必殺技のような指導法はありません。ただ、効果的な学習方法・指導方法、いわばtried and true methodsは徐々に明らかになってきている状況です。「覚え方」「覚えるヒント」について知見を持っておくことで、どの勤務校で、どの単語集を使うことになっても、柔軟に対応できる余裕が生まれるのではないかと思います。いくらJACET8000をもとにした「科学的に明らかにされた使用頻度」を提示されても、人は「その順番に語彙を習得していくわけではない」という事実には謙虚でいたいと思います。

基本2000語というのは容易です。しかし、その2000語をどう覚えるのかは未だブラックボックスです。(最近、立ち読みで済ませたある新書の中で、近年TV等で脚光を浴びている英語教育関係者が、5000語はとにかく覚えろ、それで世界が変わる。その程度の努力も惜しむようなケチケチとした奴は嫌いだ、というような内容のことを書いていて、暴力的だなぁと思ったものです。)
中教出版の『英語基本語彙辞事典』(絶版)のように、単語の背景まで含めてひとつひとつ丁寧に教えられるようなものは既に世に出ています。屋上屋を重ねる必要はそれほどないでしょう。今の時代なら、大規模な学習者による発話コーパスの整備が可能なのですから、日本人学習者、とりわけ中高生の発話をもとに、日本人学習者は基本2000語をこの時期では、このように使っていて、この時期までにはこのように習得していることが分かっているのですよ、というような知見を摺り合わせていく時期なのではないのかと思っています。

  • 『英語が使える中学生 新しい語彙指導のカタチ―学習者コーパスを活用して』太田 洋・日臺 滋之著、明治図書
  • 『日本人中高生一万人の英語コーパス 中高生が書く英文の実態とその分析』投野 由紀夫 編著、小学館

などのデータを手がかり足がかりにはできるのではないでしょうか。
この夏全国で開かれたさまざまな学会で発表された日本人研究者・実践者同士がお互いの知見を認めshareしていくことを切に望みます。

学校にあった本をいくつか家に持って帰る。
まずは岩波ブックレット。

  • 井上ひさし他『憲法九条、あしたを変える 小田実の志を受けついで』

鶴見俊輔の話しも収録。最後の澤地久枝のは良かった。

  • 苅谷剛彦・山口二郎『格差社会と教育改革』

教育問題を語る評論家の紋切り型の言説では何にも切り込めない。少なくとも、このブックレットくらいの認識で対話や議論を始めたいものだと思う。少なくとも、PISAショック以降、教育といえば何かとフィンランド型を持ち上げる世論に対して彼我の差を踏まえた分析・評価の観点をきちんと示しているところを評価したい。

  • 『児童心理 9月号』(金子書房)

特集は「言葉の力」を育てる。家庭で言葉の力を育てる、として三森ゆりか氏が親の心得ておくべきコミュニケーションスキルを説いているのだが、何かが違うと思う。大阪教育大学の田中博之氏はやはりというか、相変わらずというか、「フィンランドメソッドに学ぶ『言葉の力』の育成」を薦めておられる。概ね否定的な評価にならざるを得ない。
さんざん練られたはずの特集をまとめる編集後記の最後の最後から一節を引く。

  • 少し昔では、家族全員がこたつやストーブで暖をとり、くつろぎながら会話をしたりしていた。そこで子どもたちは父親や母親たちの子ども時代の話を聞いたり、地域の自然や慣習についての知識を深めたりして、将来おとなとして生きていくのに必要な知識を身につけた。そのような家庭団欒で会話をする機会がめっきり減ったが、これはたいへん残念なことである。

この手の雑誌の特集で感じる「不全感」というか「物足りなさ感」と同様の感じを、英語教育界は世間に与え(続け)ているのだろうなぁ。ferrierさんの指摘はもっともだと思う。

鶴見俊輔が指摘していた、リードやパースに通ずる小田実の資質。

  • 「自分に至らないところが確かにあったかもしれない。それが間違いなのであれば、正しいことを伝えなければいけない。どうすればいいだろう?一緒に本を作らないか?」/つまり、批判を排除しないのです。(中略)この考え方、思考回路が常識主義であり、間違い主義なのです。他人も自分も、みんなチョボチョボの人間だから必ず間違いは犯す。だったら間違いを指摘してくれた人と一緒に行動したら、間違いが少なくなる。

私は、いつになったら、そのような雄大な資質を身につけることができるだろうか…。
TVでは北京五輪の熱気。温度差、とは言い得て妙。これもまた逃げの言説。
本日のBGM: 愛的證明(PUFFY)