そう、今は「スリランカ」と言っていますから…。

  • 時間はかかります。ですけれど、もし扱っていることがほんとうに大事なことならば、それを生涯役立つよう、一生忘れてはいけないことは一生忘れないように、ほんとうに呑みこむ、身につく、そういうふうにするためには、時間を惜しむことはできません。お手軽に「勉強」に仮名をふって「覚えておけ」などというわけにはいかないのです。それでも、「勉強」ぐらいなら覚えているでしょうけれど、しかし大切なことばの勉強の仕方などは呑み込まないでしょう。意欲もわかないでしょう。/そういう勉強のしかたや、そこから開けてくる世界に気づかずに、現象的にそこに出ているものだけを教えていくのを、詰めこみというのです。ほんとうに生きたことばを教えるとか、生きた教室とか、みんなが勉強している教室とかというのにするためには、いま一例を出したようなそんな工夫がいるでしょう。(大村はま、「大切なことは時間を惜しまない」、『新編 教室をいきいきと 1』(pp.122-123)より)

では、どんな例だったのか?是非、本書を手にとって読まれたし。
今日は面談の日。一人約30分。「自分史」の課題も提出。希望者のみ三者面談。クラスの半数を終える。
昨日よりは過ごしやすい陽気。
地元の書店に頼んでおいた『英語教育』8月号と、『基礎英語3』8月号のCDを受け取りに。
『英語教育』に目を通す。
「リレー連載 英語教育時評」は斎藤兆史氏。「矛盾だらけの教育再生懇談会提言」。異論なし。ただ、これは誰からのバトンを誰にリレーする記事になるのかそこが心配だ。この連載そのものの意義を今一度明確にしないと、ただのリレー放談になってしまうのではないか。英語教師はもっと自前の発言を世に投げかけるべし。と思っていたら、菅正隆氏の「英語教育ここだけの話。」では、「再生懇談会を再生する」という話題が。これだけのhot issueなのであれば、「特集」で扱えばいいのに。
Forumでは、安藤氏の異論提示に対する八木氏の回答。これで一段落か。あまり噛み合わなかった感が残る。
この書店の文庫の品揃えがよくわからないので、とりあえず、品数の多い文春文庫から見繕う。

  • 植村鞆音(2008)『直木三十五伝』
  • 大佛次郎(2007)『終戦日記』

これは、明らかに『考える人』(新潮社)の特集に影響された選択ですね。
新潮文庫からは、

  • 吉本隆明(2008) 『日本近代文学の名作』

これは連載自体が聞き書きなので、そのつもりで。
集英社文庫からは、

  • 谷川俊太郎 (2008)『二十億光年の孤独』

あまりにベタな選択だが、英訳も併せて、さらに自筆ノートも加えての文庫なのでとりあえずは手元に。

  • Universal gravitation is the power of solitudes pulling each other. (p.44)

今年の夏は、津田塾フォーラムで「詩」について取り上げるわけだが、過去ログでも書いた、Alan Maleyのことば(http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20060201)などは、今風の英語教育、今時の英語教師に忘れられているのではないか、という思いが強い。このエントリーを書いて、もう2年半、まだ2年半…。
コーパス、コーパスと喧しく言われるようになってきた英語(教育)関係だが、「コンコーダンス」などというものは、もともと文学の世界での重要な切り口だったということを今一度思い出すことが必要なのではないだろうか。私もよくやりますが、なんでもかんでも、「グーグル検索」して、使用頻度を推測してみたところで、ヒット数からは書き手の顔までは見えないのです。それは、「ERek」でも同じこと。だから、過去ログでも私は、自戒の念を込めて「愚愚って」とか「入れ句」という半ば揶揄した用語で表していたりします。
多くの高校の教室での英語指導が、依然として大学入試への対応とならざるを得ないとしても、入試問題の出典を自身の広範で綿密な読書から割り出した原仙作氏や、独自の調査集計により入試で使用される英語語彙の実態を明らかにした森一郎氏のような仕事が今後生まれることはないだろうと思う。
読本や単語集にしてこの状況なのだから、辞書に関しても新機軸を有り難がってばかりはいられない。
辞書におけるコロケーションの重要性に関して、今月の『英語教育』誌の中でなされている、この指摘に気がついた人はあまり多くないのではないかと思う。

  • My advice for you this time is to suggest getting a good collocation dictionary. (中略) If you become more familiar with English collocations, you’ll have a much higher chance of being accurate. Hang in there! (同誌、「和文英訳 演習室」、p. 85)

私は最初、この冒頭の文を、次のように読み誤り、立ち止まって再読した。”My advice for you this time is to suggest getting a good collection of dictionaries.”
良い辞書を手元に置くことは確かに重要である。なぜなら、辞書は個人の経験や資質を超えた、人間の叡智の結集・結晶だから。学参や問題集、入試問題正解程度なら、そこそこの力量と経験を備えた英語教師には書けるだろう。でも、辞書は別だ。辞書にはロマンが求められるから。
現代英語のコーパスをもとに作られた『ウィズダム英和』(三省堂)は、英語の姿を身近に示してくれている。(私の2年生クラスでも使っています)。八木克正氏は、日本の英和辞典の不備を詳細に指摘し、代案とも言える『ユースプログレッシブ英和』(小学館)を世に問うた。(私の1年生クラスでも使っています)。しかしながら、辞書を引いて、その用例を見て、「実感が湧」いたり、「腑に落ち」たりするのに、『クラウン英和』(三省堂)や、『ヴィスタ英和』(三省堂)がより「機能する」こともあるのだ。「正しい」記述が必ずしも心に届くわけではないのは、教室の教師のことばと同じ。

  • あなたねぇ、あなたの言うことは正論かも知れないけれど、それでは生徒の心は動かないんだよ。

若い頃によくいわれたものです。そして、私は未だに若さを引きずって教室で「今日の生き恥」をかき続けています。

本日のBGM:春のからっ風(泉谷しげる)