♪過去も未来も星座も超えるから〜♪

三省堂のサイトにある、Teaching English Nowは、多くの英語教師が目を通していることと思う。Vol. 12での斎藤栄二先生の連載記事「英語教師のための基礎講座:これからの10年間に備えよ」を是非「読んで」欲しい。
http://tb.sanseido.co.jp/english/newcrown/pdf/ten012/ten_vol12_03.pdf
高等学校のライティング教科書が総じて文法シラバス回帰を果たしている今、斎藤先生の

  • では、あなたのいう英語の基礎は、いったいいつできあがるのですか?

という問いは鮮烈である。高1から高3までいつまでも文法のテキストや問題集から離れられない中堅進学校などで勤務する英語教師は耳が痛いだろう。基礎を「潰し」たりしてたら、それこそその上に家は建たないですから。

  • ライティングこそが、教室や家庭で行われる英語学習を繋ぎ、基礎を築く要となる。

というのが私の年来の主張である。教わったようにしか覚えていない受け売りの生半可な文法知識や、下手な文法指導技術を一端脇に置き、いきなりアウトプットを課し、戸惑わせ、間違わせ、もどかしさ、じれったさを感じさせながら、小出しにインプットを繰り返しては、より良い表現へとアウトプットに励むことで、「自分の英語」を育てていくことができるのではないかと考えている。
ライティングといえば、添削の効果で良く話題になるのだが、「学習者は教師の添削を自分の次の作文に活かすために処理できない」という添削を忌諱する言い訳であるかのような実証研究の成果は、「多くの『優秀な』英語教師は、誤りの垂れ流しに見える学習者のアウトプットを学習者の発達段階を理解するための材料として処理できない」、というあまり実証する対象とみなされない事象とパラレルではないかと考えている。
その意味では、私は、斎藤先生のいうような「同時並行」とも違い、行きつ戻りつ進む、「365歩のマーチ」型の学習観をとっている。後戻り結構じゃないですか、というわけである。
私にとっては、たとえルビコン川でも渡し船を漕ぐことこそがライティング教師としての務めなのである。

本日はクラスマッチ。
早朝、まだほとんど出勤者のいないうちに、通知票の印刷。捺印。所見は入力できる最大字数で書いておいた。かなり厳しいことも書いたので、反撥してくださいな。
その後、立哨で裏門。終わってからHR。欠席0を確認して、成績一覧表の印刷。捺印。校長先生のチェックを受ける。
安全管理・健康管理に細心の注意を払いながら、炎天下のグランドで午前午後。もう、鼻の皮が剥けて大変です。いつもの、赤ポロと同じくらいの顔の色になりました。自分のクラスは、男子のソフトは一回戦敗退。女子のバドは1回戦は辛勝。二回戦敗退。お疲れ様でした。
明日からは個人または三者面談。
成績と進路がメインだが、アンケートみたいなものを書かせてもしょうがないので、内田樹に倣って(パクって)「70歳の自分が語る自分史、22歳の一年間」を800字程度で書いてもらうことに。

  • 先取りされた未来から見た過去

原稿用紙もレイアウトしてB4で設定し印刷・配布。
この自分史をもとに対話でいろいろ聞き出せれば良し。うまく引き出せなくても、それがそのうち、のりしろになってくれることでしょう。
山口県英語教育フォーラムを柳瀬先生の掲示板で告知していただく。
早くも県外からのお問い合わせ。ありがたいことです。

本日のBGM: 時を駆ける少女(原田知世)