”My life as a dog”

今日から不思議な平常授業。
高1、高2はテスト返却の前に、anfieldroadさん譲りで、「あの素晴らしいテストをもう一度」。ペア、グループでの模範解答作成。高1はペアでお互いに教えあって作成した模範解答を次のペアに回して、「おかしなところがあれば修正」の指示。ぐるっと回るうちに元通りになっていたりするのが面白い。この段階で生徒の自己評価は済んでいるので、「六掛け禁止理論」を説いておいた。

  • 中1で学ぶ内容は語彙も文法も簡単なので、6割しか分かっていなくても、自分が英語難民とは思っていない。中2の内容も6割分かっていたら安心してしまう。そして中3でも、定期試験は範囲が限られているから、6割くらいは分かったつもりで「乗り切った」と錯覚する。でも、基礎は六掛けでは身につかない。1年の60%の基礎の上に2年の60%があるのだから、その時点で36%に一気に落ちてしまう。そして、その上に3年の60%。結局、六掛けで来てしまった人は高校入試前には21.6%の力で臨むことになる。入試があるからと中3だけ頑張っても、36%の土台に100%を掛けても36%に過ぎない。どこかで、中1、中2に戻って基礎を「作り直す」覚悟が必要なのだ。中1は100%、中2の文法で手こずり60%でいいや、と済ませてしまい、中3は必死に棒暗記をして100%という人は、英語の60%の理解度を他教科でカバーして高校に来ているのだろうが、その抜けている部分から目を背けていてはダメ。高校で語彙にしろ文法にしろどんどん新しいことが入ってくると、また中2の「まあ、いいや」が出てきてしまう。6割で安心したときに坂道を転がり落ちてしまうので要注意。

もっとも、日々の授業でもこの「6掛け」はあるわけで、今回の定期試験に臨む前に坂の下にいる者もいるのが悩ましい。
高2は最後に辞書の使用を認めてフィニッシュ。今回は、wonder + whetherの「語義」で手こずっていた者多し。「かしら」という日本語訳に引きずられるのだろう。OALDの旧版の定義とWordpower 英英和の訳語を示す前の語義言い換えが良いヒントなので、その2つの辞書を参照するよう指示したのだが、同じページの同じ項目を見ているはずなのに、その情報に「気づく」者とそうでない者とがいるのだなぁ。学級文庫が宝の持ち腐れにならないよう気をつけねば。
高3は説教。
國弘正雄氏の『英語の話し方』(たちばな出版)で引用されている、清水かつぞー先生の言葉を、一人一人に音読させた。
なぜ、徹底した復習なのか、なぜ、音読なのか、なぜスラスラ感が得られるまで、一つの文章を自分のものにしなければならないか。「授業が終わったところから、勉強が始まる」、ということの意味。そのそれぞれを肝に銘じよ。大まかな意味を読んで分かったつもりになってはダメ。意味を理解した後、英語という外国語の「ことば」を読み、「ことば」を身につけねばならない段階にいるのだから。
今日中に試験答案の直しを朱書きで提出するよう指示。
7限終了後、自分のクラスのHRを終え職員室で待機。次々に現れる3年生から答案を受け取り、5時過ぎに学校を後に。湖へ。
大学生の中国ブロック出場クルーを見る。学生マネの運転するカタマランで、漂う流木に悩まされながらも、女子2Xを1時間半くらい、帰ろうかと思った頃にonとなった男子4+を一往復だけ。
帰宅は9時少し前。
妻が撮影に使うというので、食卓は彩り鮮やかながらもお預け状態。きなこの気持ちが少しだけ分かる。
遅い夕飯を済ませて、採点の続き。
疲れたところで、宅配便に気づく。
カザルスからCDを入れ替えしばし至福の時。
本日のBGM: Laika (PUPA / floating pupa)