レベルとラベル

時間割変更で、1限から5限までびっしり、と思いきや、1限の1年生は行事の代休で一年生そのものがいなかった。
2限から5限までの4連発。そのうち、2,3,4限が同じクラス。しんどい。
2年生は、『P単』見取り図確認の報告から。
これだけしつこく言っていて、授業の時間を割いて、それでもなおいまだに何をやるか理解できていない者、行動が伴わない者がいて、激怒!! 甘えるのもいい加減にしろと言いたい、というか、すでに言っておきました。
777の見取り図が確認できたら、1-100までを20個に分割してドリル。ここで、学習方法が身についている者とそうでない者の差が歴然。やはり、グループワークやペアワークでごまかさず、一人一人が裸になる活動を授業の中にしっかり位置づけねばだめだ。小テストでいくら追い立てても、練習していない者には試合はできないから。
次のコマでは、教科書の英文。Flip & Writeに繋がるように、Read & Look up。各パート20回読んだら、裏返して、1行ごとに音読してコピー。音源CDは各自持っているのに全く活用できていないものがチラホラ。それでは、宝の持ち腐れだろう。この学校はLL教室がないからねぇ。学校に一クラスの人数分のCDプレーヤー買ってもらうか。
3コマ目は、Flip & Writeの続き。自分の頭の中で意味が英語になっているかどうかをモニターできるといいんだけどねぇ…。
昼休みを挟んで、午後は高3。
接頭辞・語形成で「まやかし」に惑わされずに、ひとつひとつ地道に学べ、というメッセージ。

  • endangerとencourage

この2つの接頭辞の働きを、< en+名詞で、put in + 名詞>などという何の説明にもなっていないまやかしで頷いていてはいけない、という話し。
endangerの方は、”put something or someone in danger” であり、encourageの方は”put courage in(to) someone”とでもいうべき意味であるから、語法の違いなど、一つ一つの語を丁寧に見なければ、決して言葉を使えるようにはならないのだ、と戒める。似て非なるものに、

  • enlarge / enable

があることを指摘し、さらなる考察を促す。類例を20個ずつ位集めたところで、共通点・相違点を自分の頭で考えればよいだろう。

  • Air pollution has led to increased level of UV light.

という文での過去分詞由来の形容詞の用法に関して、類例を補足。

  • Passive smoking leads to an increased risk of cancer for non-smokers.
  • There have to be some drastic measures for improved campus security.
  • Here are few suggestions for improved writing skills.

最後は、私の授業では定番の、

  • This box needs taping for added strength.

まで。
英語では、不思議に思えるかも知れないこの過去分詞による、結果を先取りする名詞句は、日本語で、「お湯を沸かす」などというときの発想と同じようなものなので、日本語を使っている者にはそう違和感があるものではない、という話し(慰め?)。
動詞のignoreの持つ、「主体的な関わり具合」を、定義の ”fail to consider something significant” や、”refuse to pay attention” などに感じるアンテナの重要性を説く。
名詞構文からの繋がりで ,

  • parental guidance

のパラフレーズから、

  • environmental change

のパラフレーズへ。
最後は、as well asの旧情報・新情報の解説で終了。A and B as well as C and Dという、ペア・ペアでの情報構造の方が、3つでの対比より分かりやすいので、用例を板書。とりあえず、まずは知識を知識として整理することから。あとは、何回も躓いたり間違えたりするたびに、この知識を修正整備していくことだ。
英語は英語。それはもっともな言い方。偏差値50レベルの英語や偏差値70レベルの英語がある、とかTOEFL250レベルの英語やTOEIC950レベルの英語があるなどと考えている輩がいるとしたら噴飯ものだ。語彙のレベルも、2000語レベルとか5000語レベルなどといったってなんらかの「恣意的な」基準で便宜上ラベルを貼っているに過ぎない。そういう意味で、早く"Can-do"(による能力記述や到達度指標)の概念が一般化し、現場目線での取り組みが広まることを強く望む。私が現場目線というのは、次のような考察を呑み込める胃袋の強さ、踏みとどまり持ち堪える腰の強さのことでもある。
例えば、リーディングの能力を考えると、

  • JACET8000で3000語レベル平均の総語数400語のノンフィクションの社会科学系英文

という同じ素材を扱ったところで、読み終える時間には読解力の差が出てくるだろう。内容理解型の多肢選択の設問に対しての正答率と読解時間という物差しを設定したとき、

  • 読み終えるのに8分かかるが、正答率は80%

という読み手と、

  • 読み終えるのに4分しかかからないが、正答率は50%

という読み手では、どちらの読解力が高いのか?
テクストの難易度(リーダビリティの指標でもよい)をパラレルにした英文をいくつも用意し、パワポなどのスライドショーで一定のスピードで提示して設問に答えてもらえれば、読み手の能力に関して「わかる」情報はかなり増えるかもしれない。ただ、そういう作業しかしない教室での「読み」が人間の営みとして「豊か」であるかと問われたら自信はない。
昨日まで読んでいた大村はまの本は、オリジナルが1986年。20年以上前の書に、既にこんな一節がある。

  • また、国語の中の何の力を見るのか考えられていないような問題があります。全部でいくつできたかということばかり気にして、どういう目標の問題ができて、どういうのができないかということは教師も子どもも考えていない、そういう目でペーパーテストの結果を見ていないという気がします。それがまちがいのもとで、ペーパーテストの目的に合わないわけです。ただ国語ができるできないと言われても困ります。どういうことができて、どういうことができないかが、大事なことです。そうでなければ、これからの学習または指導に役立てることはできません。(『新編 教室をいきいきと I』、pp. 308-309)
  • また、この子どもたちには、「たとえ百点であっても、国語全体が百点だなんて思ってはいけない、そこに出ている目標だけしかテストしていないのだから」と話しました。また、できない場合も、国語全体ができないということではない、そこに出ている目標ができないということだと。これはどこまでも国語の力の一部分だということ、しかし、その一部分としてはかなり確かなものだと、根気よく繰り返し繰り返し、種を変えながらながら説明しておりました。(同書、p.326)

さて、授業も終わり、中国大会の旅費が支給されたので精算してみたら、大幅な赤字。どういう算出根拠なのかなぁ。あんなにしんどい思いして、自分の宿泊費分まるまる赤字だと相当に凹むなぁ。確かに、予敗オチなので、1泊分減らされたのならわかるんだけど、それでも1泊分位はでてくれないと。私がこの学校の仕組みをよく分かっていないのが一番悪いのだな、きっと。今度は(もしその機会があればだけれど)ちゃんと聞いて請求しよう。
放課後の練習は学校でエルゴ。低調。大村はまはこうも言っていた。

  • 書けないことを責めることばはむだ

自戒の言葉としたい。

本日のBGM: Can you see? (Mark Eitzel)