「たまにはさかさまに世界を見てみよう」

「センセイ」三題。
東京のとある銀行が問題となっている。
野党の責任追及もまだまだ弱腰。ここで引き際をつくってあげるくらいの姿勢を見せてはどうなのか。そもそも監督責任を持つべきであろう現知事を再選させてしまったのはどこの誰なのか?この人の場合は同じ「センセイ」でも字が違うのかな?私は、この人がイヤで「東京から少し離れたところに住み始め」たのだった。もっとも、今ではかなり離れたところに住んでいるのだが…。
杉並区のとある中学校の「地域本部」主導の取り組みは問題だ。いや、問題と捉えていない人が多いことこそが問題だ。
校長の任命に口を挟む権限を持つ運営協議会の会長が現在の校長であることを容認してしまったのはどこの誰なのか?
みな、自分のことと考えていれば、違った展開となっていたのではないか?
某中学校の取り組みには私も再三疑義を呈してきた。こんな活動をしている区議さんがいたのでご紹介。
http://suginami-waku2.net/2008/02/post_86.html
実態を世に知らしめるためにも頑張って欲しい。
報道系の番組でしきりに「医療」政策の見直しを迫るような特集が組まれている。
現場の医師の過酷な勤務状況を報じることに意味はあろう。ただ、政権与党の代議士に、「医療秘書の数を増やして仕事を任せれ」ば医師の負担は減る、などと真顔で言わせておいて良いのか。政治家がこんなことを本気で考えているとしたら噴飯ものだ。高校の同期である国内屈指の消化器系内科医のNが、都市部を避け地道に仕事をし続けていることに想いを馳せる。とある国立大医学部長さんと話をしていて、「週100時間勤務など、ざらだよ。」と言われたことを思い出す。
翻って、教育問題。
現在の日本においては、「教育を取り巻く問題」、すなわち「子供を取り巻く問題」「教師を取り巻く問題」「保護者を取り巻く問題」を語っておけば、それなりに「識者」ぶれるので、メディアでも教育を扱うことが多い。が、何にも切り込まない。どこにも突き抜けない。

  • 教育予算をどのように確保するのか。

ひとつをとってみても、まともな提言をする政治家を見たことがない。
新指導要領の「案」が出て、間もなくパブリックコメントの受付が終了する。「絵に描いた餅」で終わらせないことは大切、というか不可欠。ただ「餅」を作るためには、「米」を作る、「田畑を耕す」、「田植えをする」、「草取りをする」といった教育を下支えする仕事をする人も必要だし、それと並行して、「米を蒸す」「餅をつく」というレシピを実行に移し、実際に「おいしく餅をつくる」人も必要だ。その「人」の実働に対しての具体的なイメージ、実感がないままに「描かれた餅」が上手いだの下手だの、不味そうだの、私ならこう描くだの言っても、ご利益は薄い。
新指導要領での外国語の目標や扱いについて、「英学史日記」の12日付けでいい記事が出ていた。自分の中での「とおり」がよくなった。鼻づまりは全然とれないのだが…。
ことばの問題を語るためのことばをもっと豊かにすることも、ことばの教師に課せられた仕事なのだろう。
本日のBGM: Edo River (Carnation)