「誰よりも自分が自分を必要としている」

中学校の指導要領改定案が示された。初中局メルマガで知る。
パブリックコメントで、これに意見を出すという保護者はどのくらいいるのだろうか?教育評論家は?パブリックコメントをして良い期間が与えられたのだから、すくなくともメディアで現場の教員と中教審委員、文科省の幹部職員などを交えてのディスカッションをみたいものだが、そんな番組を組む用意のある局はあるだろうか。
視聴率が取れない?
だったら、教育問題などはその程度の認識の国なのだ。
中学校の新旧対照を読む際には、どの内容が小学校段階へと移行したのかも併せて読まねばならない。中学では「必修語」が廃止に。当然、「別表」もなくなった。語彙のサイズは1200語程度とされた。大きな変化である。中学校の検定教科書と広域採択制度を維持し続ける中で、この語彙の扱いの変化がどう影響を与えるか。
多くの英和辞典で「中学基本語」「中学必修語」などとラベルを貼っている語は、「検定教科書」あるいは「公立高校入試」の問題で使用される英語のデータから推測されているものであろう。JACET8000ではどうだったか?アルクの12000ではどうだったか?これだけ、「コーパス」という専門用語が普及しているほど語彙研究は成熟しているはずなのに、指導要領で、1990年のThreshold levelのような語彙表さえ出さないのはどういう教育的配慮に基づくのか。
じれったい。
真っ先に影響の及ぶ公立高校入試。今まで以上に、出題される語彙が特定の教科書に偏る有利不利を生じさせないために、膨大な脚注(側注;傍注)による対応をする、または、あまり考えたくないが、現在もいくつかの都道府県で実質行われている「全県採択」で対応するところが増加するのではないか。語彙のサイズが増えるということの意味を、入試という制約の中で考えられる現場意識を持つ人の声をどこで吸い上げたものか。
そんなことを考えながら、大学入試のライティング問題の解答と解説を執筆。
過去問を集めてもシラバスは作れない。身につけるべき知識と技能がハッキリしたところでシラバスができあがる。せめて過去問を解くのであれば、その過程で「どんな知識と技能がライティング力を構成しているのか」に想いを馳せて欲しい。
原稿執筆も各駅停車の旅、どころか始発駅でメンテナンスというところか。Persuasive [argumentative] passageの指導案(指導事例)に先に取りかかる。あまり悩まず、自分に出来ることをやろう。英語教育プロパーの仕事はもうこれで最後にしようと思う。
昨日は予餞会で午前中ずっと寒い体育館。午後は卒業式の歌の指導でずっと寒い体育館。1年生はダメ出しがだされて居残り練習。放課後はエルゴの測定とトレーニングで7時半まで体育館。神田川ではないが「芯まで冷え」た。目の奥にしこりが出来たような違和感。背中のまん中(胸椎)で常に鳴るゴリゴリというノイズ。先日、倫太郎さんから兆候を察知したと思しき電話があったのだが、凄いと思った。その場にいないのに、人を観るアンテナの感度がいいということなのだろう。ありがとうございます。
さて、これから本業へ。
バランスが崩れたときに、立て直そうとあれこれあがくと結局艇との繋がりが切れてしまう。ドライブもリカバリーもハンドルを同じ高さに、波風で揺れたら自分も同じ振幅で揺れていれば元に戻るものだ。
本日のBGM: Let me be the one (Roger Nichols & the Small Circle of Friends / Full Circle, 2007)