A little inaccuracy saves tons of explanation.

お陰様で、10万アクセスです。3,4,5月と実質休んでいましたので、1年と少々かかったことになりますか。それ以前は、おそらく、今以上に「コアな」方々が見てくれていたのでしょうね。深謝。
キリ番をゲットした方、遠慮なくご報告をお願いいたします。
コメント欄はパブリックに設定してありますので、初めは勇気を出して、次からはお気軽にどうぞ。
このブログはトラックバックも切っているし、アクセスランキング系も全て切ってしまったので、自分で何か発表する媒体があるときにブログのアドレスを紹介というか告知して現在にいたっております。
これからも、「直言」(by 柳瀬先生)で行こうと思います。原則、責任を持てることについて言及・発言し、発言したことには責任を持とうと思っています。
ただ、同業者、今の生徒も(かつての生徒も)見てたりしますが、あくまでも授業日誌(本業では練習日誌)がベースで、授業の背景、基盤となる考察・思索・哲学・理念のようなものを自分の中で消化吸収しようというときに、英語教育を考え、語り、批評する必要が出てくるといったところです。アクセスしてくれる方々が読みたいであろう記事をかいている訳ではございませんのでご容赦を。時折、リクエストのようなものが寄せられることもありますが、私の「今月の歌」の実践と同じスタンスで、リクエストに応じることはございません。ただ、自分が聴き続けてきた曲、考え続けてきたネタしか使わない、というところも同じです。
あと、勉強法とか学習法のブログでもありません。

  • 「どうやったら、英語ができるようになるのか?」

それは、正業の英語授業で実践しております。
読む人に、夢や、勇気や感動を与えることなど全く想定しておりません。
アマゾンのリストマニアやカスタマーレビューで教材についても書いていますが、「英語は英語なんだから、教材なんて、何やったって結局は同じところに辿り着くでしょ?」という思いも一方であります。
「読書家」といわれるのはイヤではありませんが、あまり嬉しくもありません。読みたい本を読み、出会うべき本に出会っているという幸運に感謝です。ブログで紹介している本以外に、随分、箸にも棒にもかからない本を読んでいます。「ベストセラーリスト」は全く読みません。ただ、自分が尊敬する人や、好きな作家の読んでいる人はチェックしています。そういう意味では「本」ではなく、「人」を読んでいるのかもしれません。音楽の聴き方と同じですかね。東京にいるときは暇さえあれば書店へ実際に足を運んで選んでいましたが、今は、アマゾンや古書店のネット検索が多くなりました。
また、ブログ記事のカテゴリーわけや、見出しで分類し検索がしやすいようにはなっておりません。
「はてな」には検索窓があるので、私もそれを使って、過去ログと行ったり来たりしております。
このところ、最後の一行に記している「本日のBGM」は原則、音源が手元にあるものから、その日の記事のテーマ、シンボルやメタファーとなるもの、エピソードにちなんだものを選んでおります。iTuneで実際に聴き比べたりしながら決めることは少なくなりました。過去ログにもありますが、iPod 18ギガ分のコレクションを誤って消去してしまったことがあり、そのリストに含まれる曲は「失われたBGM」としております。
タイトルは、その日の気分で決めていますが、タイトルから記事の内容、そして本日のBGMにいたるまでを1セットとして考えています。そういう眼で過去の記事を再度読み直したり、深読みしたり、し過ぎたりして頂ければ有り難いです。

さて、いよいよ仕事も再開。
今月のノルマを達成する前に、仕事に気持ちよく取りかかれるように、新たにCDを購入。
昨年末に出た、原田知世さんのアルバムと鈴木慶一のCM音楽集。知世さんの全国ツアーに行く人、行った人、情報をお寄せ下さい。
時期が時期だけにセンター試験直前の教材準備。
先日も言及したセンター試験対策の市販本の内容と、語法・文法解説のあまりの酷さに怒りすら覚えた。
繰り返しになるが、索引がないのは致命的。この本を読んでいて、「辞書で例文をチェックしよう」というときに、辞書の収録語がアルファベット順になっていなかったら、どうやってその語に辿り着くつもりなのか?教材は辞書のようには作れないからこそ、索引が必要なのだ。(その点、語法に限って言えば、旺文社から出ている綿貫陽氏のハンドブックの方がよほど繰り返しに堪えうるだろうと思う。)
いったい、個人・独習で使うことを本当に考えて作っているのだろうか?結局、この前段階の「フォレスト系理解型参考書」と語法注記の詳しい「ジーニアス系英和辞典」が手元にあることを前提とした教材。逆に言えば、これらがあるなら必要のない教材だろう。
網羅性にこだわらず、スカスカ感を残しながら、初学者や英語が苦手な学習者にも対応できるように語彙の選択や構成に意匠をこらす、というのなら話は別。ただ、そういうものはたいてい、シリーズ化されてその上のレベル、さらに上のレベル、と結局は網羅したがる傾向にある。だったら、最初から『フォレスト』に補充例文や、解説の更なる解説を書き込ませればいいんじゃないの?私が、そんなに『フォレスト』持たせたいなら、それをテキストにして授業をすればいいでしょ?というのは、そういうことです。

  • 『フォレスト』見れば和訳も解説も書いてあるのに、授業で何するの?

という問い直しからスタートです。
少なく絞り込んだ情報提示が本当に知識の整理に効果的なのか?
どこかの小学校で行われている、国語辞典で調べた語に何百枚も、何千枚も片っ端から付箋を貼り付けていく実践があります。あれを英語で行うとしたら、どんな英和辞典が必要か?などという発想から突破口は見えてくるかも知れません。

本日の晩酌:梅乃宿・燗酒献上・拾五年古酒混和生もと(酉元)吟醸(奈良県)
本日のBGM: Mythology (Fairground Attraction)