♪わ〜かめ、好き好きっ!♪

「書評空間」の阿部先生、今回は大江健三郎。先日、「苦手」と言った私に、「こういうところ、苦手でしょ?」と応えてくれたかのような記事。脱帽。同じ世代に、こんな知性の持ち主がいることを素直に喜びたい。
本業は年内最終乗艇。2か月近く練習していなかったために合宿も散々だった「後から来たの」を昨日のエルゴを休んだエースキラーと2Xに乗せドリルを一通り。センスは良いのだが、体幹が弱い。昨日、エルゴでも6000mのトライアルをしたものの低調な記録に終わったエースは1Xで腕漕ぎから。腕漕ぎ2本+フル1本を経て、メインメニューへ。今日は疲れたでしょう。明日明後日とエルゴです。漕ぎ納めたくない人は、持って帰っていいですからね。
冬期課外の教材研究の合間に、斎藤兆史著『翻訳の作法』(東京大学出版会、2007年)を読んでいる。センター試験に使われる文章とのあまりの違いに、「ビックリだよっ!」と叫びたい気分なのだが、「18. 英語の中の日本」の一節で、北海道の「床の間」と「仏壇」のある部屋で客をもてなすことの違和感に言及していて、私もびっくりした。実家は、床の間に仏壇があったし、東京でも、こちらでもアパートや賃貸のマンション住まいだったので、じっくり床の間を観察してはこなかったが、普通の日本家屋では仏壇は床の間にないものなのか。不覚。
この章では、カズオ・イシグロを題材にしているので、飛田茂雄氏の訳文と翻訳の姿勢が引かれている。高校生の頃から『翻訳の世界』の飛田氏の課題の回はいつも楽しみだった。確かに「石黒和男」だったら、イメージ変わるでしょうね。今、名前を入力し変換した私自身、即、「石立鉄男」を思い浮かべましたから。
Activity 12 で、『灯台へ』(Virginia Woolf)を扱っている。Exercise10でも取り上げられており、良いところを課題にするなぁ、と思ったのだが、斎藤氏の前振りのあまりの丁寧さに、「今は読まれない作品なのかなぁ…」と複雑な心境。Exercise 19ではイブリン・ウォー(Evelyn Waugh)の『ブライズヘッド再訪』のエピローグが使われている。この課題の訳文の処理と言うよりも、文芸翻訳のテキストにおけるWaughの扱いに関してはferrierさんのコメントを聞きたいものだ。
高校の英語教師としては、「12. 精読する」でのActivity 14辺りで内省を深めるといったところか。精読にあたる用語がintensive readingではなく、 close readingとなっていることから、あらためて目次を眺めていてちょっと気になったことを最後に。
目次にある全24章の各章のタイトルと英語訳を眺めてみると、いろいろな発見があるだろうと思う。たとえば、

  • 1. 文脈を理解する Understanding Contexts では、動名詞。
  • 8. 構文を分析する Analysis of Sentence Structures では、動作・行為を表す名詞。
  • 14. 文学的素養を身につける  Knowledge of Literature では?

日本語の文末処理は「〜すること」とはなっていないし、「文脈の理解」「構文の分析」ともなっていない。これが、もし「〜せよ」だと変わるのは印象だけ?内容や意図は?
そんなことまで含めて、「文芸翻訳入門編」とはいえ、奥行き「感」のある一冊。

年末年始の読書に、
アーサー・ビナード『日本の名詩、英語でおどる』(みすず書房、2007年)
を入手。全てビナード氏による英訳である。
翻訳を語るなら、こちらの側からも歩みを進めなければ、ね。
詩人でもあり、翻訳家でもある岩田宏の作品もビナード氏によって英語に訳されていて、興味を持ってページを繰ったのだが、その左頁にある竹内浩三の解説 (p.60) で立ち止まる。「けれど」という接続助詞にまつわる一文。これだけでエッセイとしてのクオリティが高い。
この本は急がずじっくりと読みたいものだ。もっとも、急いで読んだとしても、何回も読むことになる本なのだけれど。

本日のBGM: デモ ケド ノニ (TOMOVSKY)