Who guarantees the mileage that makes a champion?

答案返却。
進学クラスは、練習量の話。
本業で大学のコーチをしていたときの例をあげた。シブケンにもいつもいわれていることでもある。その意味では「王道」だろう。

  • 1回の練習で、一番遅い女子の1Xでも21km、速い4Xなら、24kmとか27kmとかを漕ぐ。選手には、「インターハイや国体で勝ったり、ジュニアの世界選手権に行ってきたようなやつと、インカレや全日本で戦うんだから、12km とか15kmとか漕いで、濃い練習をしたと思っているところより速いのはあたりまえ。そういうところとは違うリーグで試合をしていると思え」、といっている。自分で、だめだ、だめだという奴は、それだけの練習をしていない。

そういって発破をかけて、ライブリスニングで使った「高校入試リスニング問題書き換えスクリプト」2題、約180語x2を音読。範読に続いて斉読。「音読40回」を実際にやってみよう、ということでBGMの ”Top of the world” に負けないように音読三昧。それでも、さすがに、40回は遠い道のり。いったん中断。早いものは、それぞれ、15回くらい、計30セットこなすくらいは読めているが、遅いものは合計でもやっと10セット。これだけの差があるという現実からスタートするのが、普通の学校現場なのだ。

本業でシブケンにメニューを見てもらっていた頃、大学の選手達によく言っていたのは、「長い距離を漕いでいることに安心してはいけない。少しでも高い強度で漕ぐことが大切。」ということ。

今回の音読はリスニング用スクリプト。高校入試問題を書き換えたとはいえ、英語Iの教科書で言えば、第一課のレベル。大事なのは、発達段階、学年進行に見合ったレベルの英文でも「スラスラ」感を得られるまで音読を繰り返すこと。比喩ばかりで恐縮だが、飛行機の離陸と同じ。英語IIでも、Readingでも、入試用の長文でも、「スラスラ」感がでるまで、助走スピードが上がらないと、「この感じ」は得られないのだ。そのためには、英語という教科にどれだけ時間を割けるか、という現実との戦いである。
公立時代も痛感したが、授業時数も含め数学に充分な時間を取れないと、理科も伸びないので国公立進学は難しい。公立も私立も2番手校、3番手校に来る生徒は、概ね理数系の学力が劣る。苦手の克服にエネルギーを割くか、少しでも見込みのある英国に力を注ぐか、といったときに、英国で、という選択をすると、英語はできるが、私大文系の選択肢となる。早慶上智などに行ければそれなりに高いレベルの英語の授業になるが、それでも高校の「英語科」や「英語コース」の授業の方が、多くの大学の一斉授業よりも、「高い強度で、長い距離」のトレーニングを課しているので、高校に戻ってきては不本意を漏らすことになる。
高校入学段階で、理数系の科目に苦手意識がないような生徒を抱えているのなら、英語も「ガンガン漕がせる」指導がいいだろう。英語のトレーニングに割く時間的余裕があるのだから。でも、そうではない生徒を抱えているときの教科指導は全体の進路設計などを勘案する必要が出てくる。担任をしていて、「英語はそこそこでも良いから、もっと数学ができていたら…。」と自責の念にかられたことも数知れない。
現任校で現在受け持っている3年生には、すでにAOや推薦で地元国公立大に合格している者がいる。防衛大も4人合格通知をもらっているとのこと。推薦で私大に合格した生徒の中には、センターでも英語は180点以上はとるだろうと思える者がいる。そういう生徒達には、これからが本当の英語力の問われる時期と励ますのだが、心境は複雑である。

本業で「王道」を漕ぎきった者たちは、年間10か月にも及ぶ期間を合宿所で過ごす。寝食を共にし、朝は、4時半から、2時間半。午後は夕方の4時、5時から、日が落ちる7時、8時まで。英語教育でいえば「イマージョン」のような日々を送るからこそ保証できる練習量でもあるのだ。当然、それに付きっきりで指導する指導者がいるから高い強度が維持できる。恵まれた環境で10年以上も指導ができたことに今更ながら感謝したい。

練習量をこなさなければ、成果はない。しかしながら、その量を保証できるか否かは学校のレベルや環境に大きく左右される。ゴールを気にして後ろを振り返ったり、先行するクルーや追いかけてくるクルーを過剰に意識したとたんに艇速は落ちるもの。多くの高校はまだまだ悩みの中でひたむきに、がむしゃらに漕ぎ続けていることと思う。

本日のBGM: JITABATA (鈴木博文)