「私たちは本当に『指導力不足』なのか?」

三省堂の辞書サイトが今面白い。
「明日は何の日:9月10日」(http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp/2007/09/09/
ではヒューイ・ロングの暗殺のことが。
私がロングのことを知ったのは大学生の時。ランディ・ニューマンのアルバム ”Good Old Boys” (1974年)に収録されていた、Every man a kingという短い曲。さらに同アルバムのKingfishでもこのロングのことが取り上げられている。アルバムとしても完成度が高いのだが、個々の曲は本当に考えさせられる。オープニングナンバーのRednecksは授業で公民権運動を扱った文章を読む際によく使ったし、Louisiana 1927という曲は、数年前のスマトラ沖大地震の被害を題材にした高3の授業で扱った。(過去ログは→ http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20050114)この世代のアーチストは一様にストーリーテラーとしての技量が高いがその中でもランディー・ニューマンは際だっている。ちなみに、このアルバムには名曲 ”Marie”も収録。是非一聴を。
さて、このブログでは最近定番(?)の中旬『英語教育』を読む。10月号をようやく入手。
特集は「英語の授業はどう変わったか、これからどう変わるか」
先月の特集が良かっただけに今月は少し厳しい評価にならざるを得ない。
特集の冒頭を飾るのは江利川春雄氏(和歌山大学)。反論なし。P.13の「今後への要望と展望」は極めて大きな意味を持つ。編集部は執筆者間のバランスをとることを考えるだけでなく、この争点だけで特集を組むべきだろう。危急存亡、と思っている人があまりに少ないのだから。
コラムで上智大の和泉伸一氏が寄稿。先月号の卯城氏(筑波大)と共に、今私が最も期待する英語教育系の学者なのだが、このコラムは食い足りない。P.21の、

  • 日本人が教える文法中心の授業とALTなどが担当するコミュニケーションの授業、というように、両者を結びつけていこうといった「質的」な改革があまりなされていない。
  • 日本の英語教育の大きな課題は、いかにしてもっと言語の伝える意味内容を大切にして、生徒に学ぶ必要性を感じさせる授業が展開できるかということであろう。
  • 文法紹介の例文も、無味乾燥なものではなく、使える、意味のあるものを提示していくことが望まれる

という紋切り型の指摘・提言は和泉氏でなくとも言える内容である。和泉氏は日本では数少ないFonFを語れる学者なのだから、そこだけで見開き2ページのチェックリストでもぶちかまして欲しかった。
同じくコラムで竹山三郎氏が「予備校の変遷とこれから」というタイトルで寄稿している。これには首肯できない。とりわけ、「子どもを満足させる程度の授業、サービスは学校でも予備校でもできる。だが、親を納得させる指導をどれだけやっているかどうかになると、その差は歴然だ。」という部分にこの人の教育観が強く表れているようだ。他の物差しを手に入れる機会がなかったか、または他の物差しに価値を見出していなかったかなのだろう。先月このブログでも取り上げた加藤京子先生(旧姓:岩本京子先生)のような授業アプローチとはまさに対極にある。編集部への注文をすれば、特集で、このコラムはどういう機能を果たしているのかがよくわからない。
特集の最後に、渡辺浩行氏(宇都宮大学)が熱く吠えていた。応援します。

  • 小中高大の英語教育の流れの中で、目の前の学習者の、その来し方行く末に想いを馳せながら、真に今をとらえようとする小中高大の教師はどれほどいるであろう。(p.32)

次は連載から。
「菅先生に聞こう!授業の悩みQ&A」(p.37)
は高校の教科書の読みに関するお悩み相談。苦言を呈してばかりで申し訳ないが、この連載、最近ちっともおもしろくないのだ。

  • 第一段階 本文に目を向けさせる

で、「質問の答えとなる箇所が含まれている文を本文から抜き出しなさい」という助言をしているが、これはかなり多くの高校で機能しないだろう。まず、一文が読めないものに、他の文との識別が付こうはずがない。「単語等から推測して答えとなる箇所を見つけ出そうとします」というのだが、その該当箇所がなぜ、その質問の答えになるのかを確認する手段は?「その一文の和訳」ではないのか?逐文の和訳は遺棄されるべきもので、特定の一文は和訳してもいいというのか?逐文和訳は害あって益なし、というのであれば、たとえば、8文からなる英語の段落に質問を一つ投げかけ、5人一組8グループの全てが異なる文を答えとしてあげたとしたら、どうするのか?
分かる単語をつなぎ合わせる作業を課すのであれば、本文から分かる単語だけをグループで抜き出させて、そこだけでマッピングのように話を復元させてグループ間の食い違いを利用して、和訳先渡しの要領で、実際はどうだったかの検証へと移行し、なぜそういう意味になるのか、という手順で未習事項・目標となる英語の言語材料の導入へと向かう方が健康的だと思う。
フォーラムでは、甲斐順氏が首都圏公立高校入試問題の「注」に関する重要な指摘。この欄で他の読者や、首都圏地方自治体の英語指導主事から反響があれば、英語教育界も捨てたものじゃないと思えるのだが。
『英語教育』関連で最後に告知を。
来月14日に発売予定の『英語教育』(11月号)で少しだけ登場します。
授業のここにフォーカス (20) 山岡大基・松井孝志

  • 広島大学附属福山中学高等学校の山岡大基先生の高校2年生・ライティングの授業が取り上げられます。コメントは私が行っております。山岡先生は言わずと知れた「地道にマジメに英語教育」というサイトを運営している方。乞うご期待。

その他に読んだものは、
斎藤兆史『努力論』(ちくま新書, 2007年)
モーレツです。達人列伝の「列」というよりも、「烈」という漢字の感じ。ただただ猛烈なのです。
森田浩之『スポーツニュースは怖い 刷り込まれる<日本人>』(生活人新書、2007年)
これは期待した以上におもしろかった。今日のタイトルもその腰帯にあったコピーのもじり。PISA型読解力の向上に血眼になっている読解の研究者・指導者も一度読んでみるといい。いかに、スポーツニュースでばらまかれる日常的な断片の中に刷り込みが隠れていることか。新書ではあるが、この国のスポーツ文化を語る上での必読書となるだろう。ここで展開されるような講義をコーチ研修で聞きたいものだ。
午後は原稿をチェックして編集部に送付。自分の分の締め切りは過ぎているのですが、まだまだ終わりそうにありません。
夕飯を食べたら、Hero’sでも見よう。どうせまた、試合がなかなか始まらずに、主催者側とメディアが結託して描く「物語」を何度も見せられるのだろうけれど…。
本日のBGM: All the way to the borderline (Little Creatures)