灯台下暗し

高1進学クラスは0限でオーラル。復習でしつこく、Yuri Gagarinについてreproductionを求める。出来は今ひとつ。キーワードを7語板書して再度トライ。根比べ。その後、新教材の導入。今日は、「テーマ口頭作文」。まあ、簡単に言えばスピーチですな。

  1. Why do you think some people don’t like animals?
  2. Why are sports so important to kids?
  3. What kind of person should be Prime Minister of Japan?
  4. Tell me three things you remember about kindergarten.
  5. Have you ever had a dream that really scared you? What was it about?
  6. Name two things we should do as a family on the weekend?
  7. What was your favorite toy when you were little?
  8. What is the nicest thing a friend has ever done for you?
  9. Tell me who you think are the three greatest musicians in the world? Why?

の9つのテーマを設定。小堺一機の番組ではないが、10面体のサイコロを振り、自分の出した目の番号で30秒間準備、口頭でスピーチ。
しどろもどろで15秒沈黙が続いたら、次の生徒。出てきた英語を元に、更なる質問で発話を引き延ばしたり、修正してリピートさせたり。6人くらいをwarm upに使い、本題の導入へ。4人一組で、1題を選び、ブレスト。辞書使用可。このクラスは『ウィズダム英和(第2版)』『グランドセンチュリー和英(第2版)』(ともに三省堂)を使用しているので、自然な用例には事欠かない。0限では、グループでのブレストまで。
続きは4限。ブレストが終わったら、個人ベースでの作業ができるように、頭出しチャンクを板書。テーマによっては、guiding questionsも板書し、盛り込むべき内容のヒントを提供。
制限時間の5分経過で、発表活動。同じグループの他のメンバーに向かってスピーチ。それをもう一人別のメンバーがメモをとる。聴き手は聞くことに徹し、後でメモ書きの補足をしてもよし。これを順送りで全員分。同じトピック・テーマではあるが、微妙に内容にはズレがあるはずなので、メモをとる生徒は、話し手ならでは、の「ならでは情報」に焦点を当てておかなければならない。ここまで終わったら、メモをとった情報を元に、スピーチを再現する。当然、ところどころ思い出せなかったり、間違って書いているところがある。そこで、訂正作業。ワークシートを机上に拡げたままにしておき、赤ペンを持って、移動。自分のスピーチが復元されているワークシートに直接赤で訂正を入れていく。終わったら、自分の席に戻り、修正箇所の確認と音読3回。スラスラ内容が確認できた段階で、そのスピーチのキーワードを最大5語までマーク。主題を良く思い起こして、重要度を考える。他人のスピーチでキーワードをマークし終わったら、今度は自分のスピーチも他人のつもりでキーワードをマーク。ここで、先ほどのキーワード5つを回してもらい、自分の5つと比較。歓声、どよめき、溜息、怪訝顔と、いろいろな反応。今回は導入の第一回目なので、なぜ、キーワードに食い違いがでるのか?という点を考えさせることが主眼。最終的に、板書したそれぞれのテーマに関連した「情報構造」を付け加えて解説。

  • 断片的な情報であっても、情報構造に適った提示の仕方であれば読み手・聴き手は足りないところを補いやすい。文法的なミスがあっても、致命傷にならずに済む可能性が高まる。これに対して、情報構造を逸脱・無視した情報の提示をしてしまうと、情報の受け手は補いようがない。したがって、何度繰り返しても、よほど明確で正確な表現を使わない限り、相手に内容を理解してもらえない可能性がある。教科書の英文から何を学ぶか、生徒同士の発話から何を学ぶか、2学期の授業はとっても大切。

ここで時間切れ。本日の授業はここまで。続きは来週か?体育祭とその代休があるから、結構しんどいなあ。

さて、私がまだ部長をしている、ELEC同友会ライティング研究部会の今年度のテーマは「高校入試ライティング問題を料理する」。
長沼君主先生、工藤洋路先生といった若手を中心とした企画である。私も色々な都道府県の入試問題に目を通したが、今年の切り口はおもしろいと思う。ライティング出題の意義や問題点に関しては、11月の大会に参加して議論を戦わせて欲しいのだが、他の技能・分野でも依然として問題は多い。
東京都立高校の独自入試に関しては以前にも取り上げ、酷評した。今年の出題からも取り上げておく。
独自入試は読解問題の比重が高いのだが、相変わらず脚注を採用しているのは良識のなさを露呈するものである。一刻も早く、側注・傍注に変更すべし。そうでないのなら、その単語だけ英文中の日本語表記にでもしたらどうか?
たまたま目についたのが都立西高(→ http://www.tnet.metro.tokyo.jp/~T091/pdf/mondai/19eigo.pdf)。申し訳ないが、俎上へ。
第3問
put on a play/ take a step/ miserable/ stand on a stage/ play my part/ escape from difficulty/ let 〜 down / encourageなどという語句が注に並んでいる。
問6では、本文の内容と合っているものを四つ選び出来事が起こった順に並べなさい、といって8つの英文から4つを選ばせ、さらに並べ替えさせるという面倒くさい問題を課している。その中の選択肢の一つが気になった。

ヵ. Meg knew that making mistakes was as miserable as escaping from difficulty.

今時のテストというのは、注に載せている語句を含む設問を安易に作るものなのか?注のつく語句が本文ではどうなっていたかというと、
“My junior high school life was a miserable one.” (10行目)
“escaping from difficulty is more miserable than making mistakes in front of people” (41-42行目)
という該当箇所。この本文の段階で、すでに注がついた語句が集中している。意味のわからない受験生がその都度、脚注に目をやって意味を確認して、という作業をする認知負荷に耐えるのも英語力のうちと考えているのだろうか?
この高校は他にも、第4問で「ディベート大会に出場する」話を読ませる出題をしているのだが、そこでの注にも首を傾げる。

  • ディベート (debate):あるテーマについて肯定側 (affirmative side)と否定側(negative side)に分かれて行う討論。大会では最後にジャッジによって勝敗が決められる。

ディベートそのものについて注を付けなければわからないような内容を英語で読ませて何をしようと言うのか?おまけに、最後には「決勝に進んだから、あなたの意見を書け」という紋切り型の出題が待っているのである。「ディベート」というものを初めて見たり聞いたりした受験生にとって公平な出題となっていたと言えるだろうか?数年前、東大の入試で、架空の島の生態系に関する出題がされたことがあった。これは、背景知識・内容スキーマの有無による不公平を防ぐ狙いがあり、その点では好感を持ったものである。この高校入試の出題ではどうなのか?出題者の明確な意図・返答をお聞きしたい。

近年の公立高校入試においては、「みるからに文法問題」という出題は減少しているようであり、そういった変化を背景にして、「適切さ」>「正確さ」というような紋切り型の指摘が、英語教育関係者からもなされてきた。研究会での指導助言者の講評などで、よく耳にするだろう。この部分にいつも引っかかる。
一般に、「適切さ」が求められるのは、useの段階で、「文法的には正しい表現だが、ある特定の場面では不適切」という発話を防ごう、という意図があると思われる。では、この状況の逆はどの程度成立するのだろうか?

  • 「文法的には間違った表現だが、ある特定の場面では極めて適切」というようなuseの場面はどのくらい存在するのだろうか?

という問いかけである。
たとえば、willとbe going toの使い分けは初学者には悩ましい。運用上の正しさを理解し身につけることはもちろん重要である。しかしながら、この2つの項目を使い分ける「適切さ」を身につけるには、それぞれの項目について「正確さ」を身につけている必要があるのではないのか?一歩譲っても、どちらかの項目に関しては正確に身につけなければならないのではないか?多くの現場教師がジレンマを感じるのがこの部分なのだろう。
ここで、「だったら、いっそのこと『多少運用は不自然でもいいから、正確さを身につけさせよう』ということで、高校の3年間を文法指導に当てなさい」、といいたいのではない。運用を、運用の適切さの獲得のためだけに用いるのではなく、正確さを身につける動機付けとして援用することが色々な可能性を拓くのではないか、といいたいのである。運用の結果、be going to をしっかり身につけなければ、と意識することで学習が強化され、自動化に近づくことがないとはいえないだろう。習熟・習得すべき項目を意識したら、TBLTにならない、などといつまでもエリスやウィリスの顔色を窺ってばかりもいられまい。所詮理論は灯台のような存在でしかない。自分の位置、目的地を見失わないことが大切。
上述の都立西高の「ディベート」に関する出題に限らず、高校入試の読解系の出題でも「運用」や「現実の使用場面」を殊更意識した出題が増えてきた。見通しは得られつつある。ただし、その必然性は?という問いに答えられそうなものはまだまだ少ない。ましてや、申し訳程度に「ライティング」の出題を付け加えているようでは、光は遠い。

夕食は私のリクエストで地元サビエル・カンパーナの食パンで焼きそばパンを作ってもらう。コーヒーとで軽く済ませる。最近コーヒーはずっと、松山にある「ジャルダン」というお店の豆を通販で取り寄せている。コーヒー好きなら一度は試して欲しい。

本日のコーヒー:ブレンド参番/ル・ジャルダン・ドゥ・カフワ
本日のBGM: Sweet Jane ( Mott the Hoople)