そして艇は行く

後かたづけ難航。後ろ向きだからか?
比較的最近の単行本や学参など段ボール2つ分くらいを某B書店に持っていったのだが2千円程度。本当に二束三文だなぁ。とりあえず、持っていくものを先に仕分け。授業関係の辞書・参考書類、ライティング部会関連の書籍を箱詰め。これは重いので集荷に来てもらうか。当座の着替えは宅急便で送る。本業のレース記録ビデオなどはMOや授業でのプレゼン記録のテープなど壊れ物と一緒に宅急便。新天地では恐らく不要と思われる、英語関係の本、雑誌、随想などこれまでに読んだ本。さらには、マニアぶりを発揮して収拾した雑誌の特集などは思い切って処分。床にうずたかく積まれると、もの凄い量だ。いるモノの方を書棚に残し、これは引越業者に梱包してもらうことにする。身軽になって再出発することが、こんなに重いことだとは思わなかった。
本業は自分の腕をまず磨き直すことから。英語はまだ、赴任先の英語の先生とお話ししていないので新年度にキャッチアップします。
英語教育は英学のころから数えれば200年に及ぶ足跡がある。とりわけ第二次大戦後の学制改革で、教育の大衆化・民主化などの流れを受け、英語教師の量的質的低下を招き、英語教育の成果は厳しい評価を受け続けている。学校教育の評価、教員の評価そのものが厳しくなった昨今、英語教師は二重三重に辛辣な世論にさらされ続けるだろう。
でも、国際人だ、コミュニケーションツールだ、などといった安易なバナーに踊らされない方が良い。時流を利用して生徒の英語力を伸ばすのは結構。ただし、目の前の学習者を忘れてはいけない。高校生、さらには中学生の知性を過小評価しないこと。目の前の生徒が、教師よりも高い知性と豊かな人間性を持っている、という畏れを忘れてはならない。古くは、後生畏るべしと言っていたはず。それでいて、かつてのそして現役の学習者としてのプライド、矜持というものを持ち続けていたいと思う。

大学の後輩で今まで本業で苦楽を共にしてきたYが先日の送別会で、こんなことを言ってくれた。

  • 先輩はすぐ泣いちゃうでしょ。でも、それでいいんです。「上を向いて歩こう、涙がこぼれないように」なんていうけど、上を向いていると生徒や選手のことが見えなくなる。常に、生徒を見て、選手を見て、Cry, cry, cry! ですよ。

英語教育の明日は一人一人の英語教師の手に委ねられています。一人が不安なら、団結するもよし。ただ、手をつなぐためにはそれまで握っていた何かを放さなければならないものです。

  • 鍵はいつも、掌にある。握りしめている間は使えない。

ありがとう、そして暫しのお別れです。
本日のBGM: Adios (Jimmy Webb)