英語教師の秘密

実作は、淡々と。
オーラルでは、英語の「主語」と「目的語」というのがいったいどういうもので、どういう働きをしているのかを明示的に指導。仕込みの段階ですな。
高2は時を表す副詞節。
高3は「否定・反対・欠如」を表す「接頭辞」の解説。毎年、高3では恒例になっています。というか、高3までことさら強調することはありません。基本の3000から5000語くらいが身に付いていない段階で、接頭辞だ、語源だ、などと言っても、上滑りですから。ベースとなる語の品詞と意味をしっかりと捉えることが大切です。
本業はオフ。
入試の作問会議を経て日没後に帰宅。
さて、
フォーラムの振り返りも終わりへと近づいています。加藤京子先生の講演。
講演の内容をまとめるのは、今の私にとってはまだちょっと無理なので、講演に漕ぎ着けるまでの前日談、フォーラムを終えての後日 (当日?) 談などを中心に。
今回の講演者、講師の人選で最も考え抜いたのが、「ことば」を教える者としての現場の目線、現場の矜持という切り口。第1回では、田尻悟郎、阿野幸一、久保野雅史という、誰もが認める現場でのトップランナーから、大学へと転じた人たちに山口に集まってもらい、語ってもらった。第2回の去年は、高校ではポストセルハイの段階にあって、人的支援、金銭的支援が一段落してからの新たな取り組みが成果をあげている二校を選び、北と南から、今井康人、永末温子のお二人の出会いと化学反応を山口で演出し、その一方で、中学校段階の英語の指導のひとつの完成形として、驚くほど自然に日本語と英語を使い生徒に語り掛け、生徒と語り合う教室を育てている久保野りえをフロアのみなさんに体験してもらった。(大変済みません、みなさん先輩ですが、ここまで敬称略でした)
授業研究を謳う研究会、学会はいまや数多あるので、語研でできること、英授研でできること、ELEC同友会でできること、ELECの協議会でできること、そして、達セミでできること、とは違う「実り」を結びたい、という欲目もあった。中学校段階の指導が日本の英語教室で最も大切である、というこだわりもあり、今年の第3回も、中学校の先生に是非とも講師をお願いしたかった。ただ単に知名度がある、人気があるという人選と思われたくなかったし、指導技術という「スキル」を極めていく方向での人選にもしたくはなかった。そうではなく、

  • その人自らが「ことば」を大切に扱い、ことばに厳しくあり続け、ことばを教えることの「怖さ」「畏れ」というものを「悦び」と同じくらい知っていて、「学ぶ者」への愛情、慈しみを感じられる人。

に来てもらおう、という思いがあった。となれば、私の知る限り、この人しかいないだろうということでお願いしたのが、加藤京子先生。午前中の柳瀬和明先生の講演で、「岩本先生」という名前で言及があり、戸惑った人もフロアに多かったと思うのだが、旧姓の岩本京子の時代にパーマー賞を受賞し、語研のみならず、英授研の関西支部でも活躍されていたのであった。私は、随分と長い間直接面識がなく、原稿・著作を通してしかその実践を知らなかったのだが、お世話になっている編集者の方から、いつも「岩本京子」への讃辞を聞いていて、会いたい、会いたいと思いは募っていた。ある年、たまたま英授研の全国大会が大阪で行われた時に、知遇を得てお話をするようになり、それ以来いつも本当に多くのことを学ばせてもらってきた。

忘れもしないエピソードは、ある時のメールのやりとり。私は、失礼があっては、と時候の挨拶を形式通りに書いて、その後、用件を認めて送信したのだが、

  • つまらないことを書かないで、ダイレクトに本題に入ってください。ご自分の実践を本当に拙いものと思っていたらここまでやって来られなかったのではないですか。私たちは、そういうことで繋がっているのではないはずです。

という「ことば」で厳しくも暖かい返信が届いたのだった。自分を良く見せようという衒いとか、誇張、ごまかしや嘘というものを全て捨て去った後の、素の自分を顕わにした「コミュニケーション」が始まったといって良いだろう。

今回の講演では、A4にして28ページの資料1と、それとほぼ同量の資料2、それ以外に、生徒が発表で用いて、そのあと保存されている、creative writingの作品の数々を「実物」で、さらには30年前の初任の頃に作られていたノートもお持ち頂いた。雑誌や実践発表で、加藤先生の原稿・資料を読んで以前から驚きというか脱帽というか、結局、手を合わせて拝んでしまうのが、生徒の作品は、そのまま収録してあること。英語の習熟度の高い生徒も、まだそうでない生徒も、最終的に提出したそのままの状態で雑誌に掲載され、資料集になっている。私も、「ライティング」を専門とし、生徒作品を示すことは随分とやってきたが、これはなかなかできることではない。このブログで、以前、”I am a pencil.” という本に言及したことがあり (http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20051007)、その際に、ドキッとする一節を引いたのだが、再録しておく。

なかなか詩を書こうとしない男の子が書いた詩を誉めたそのすぐあと。
But it's hard to know what I responded to --- the poem itself, or the boy behind it; my student as he was, or as I wanted him to be.
という一節に、しばし立ち止まってしまった。

これは私も作文の教師としてずっと抱えている悩みなのだが、加藤先生はその両方の足場にしっかりと立って、生徒を受け入れ、生徒の作品を伸ばし、さらには「豊かなことばの使い手」へと育てている。
先に紹介した編集者の方から伺っていた話で、今回の講演後の懇親会で直接、お聞きできたことがある。

  • 若い頃は「大村はま」を目指していたけれど、今の公立中学校の先生は毎日、2時間の教材研究を取る時間がない。だったら、私は「小林カツ代」になろう、と。

これを聞いて、自分も襟を正し、「加藤先生が小林カツ代なら、私はいつも心に『ケンタロウ』を」、と思ったのでした。(過去ログのエントリーも参照あれ http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20070822http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20081125)

講演でも取り上げられた実践で、一つだけ紹介しておきたいのが、後置修飾の流れで産出まで求めていく、「関係代名詞」の指導。

1 whoの次には動詞
2 whoの中に入れるべき内容にしよう。
・I have a cousin who is very clever. →  I have a very clever cousin.
文法的にはまちがいではないが言語使用場面から考えると不適切。
3 一人しか存在しない人物や、名前には関係代名詞をつけない。
・I have a mother who cooks very well. (×) … 料理が上手でない自分の母が別にいるのだろうか?→My mother cooks well.
・ This is Tom who is the captain of the college football team. (×)
→This is my brother who is the captain of the college football team. (ただし、大学でキャプテンをしていない別のbrotherがいることも示している。)

このように明示的に指導する一方で、

4 英語で3文以上書くとき…次の作文はいいですか?直した方がいいところがありますか?

として、生徒の作品例を挙げ、自分たちで見直す機会を与えてもいる。その際の切り口、視点として、

1 文を2文以上書くときは前の文と次の文に意味や論理がつながるように書かなければいけません。
2 「あたりさわり無く書く」、「あいまいな情報ばかりで (個別に語ることを避けて) 書く」のは英語で書くとき最も魅力の無い文章です。英語上達を望む人は、魅力の無い文章を書いてはいけません。内容の面白くない話し方もいけません。

という助言・指針を与えている。この指導を過去ログ、(http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20100918)
で取り上げた実践と比べてもらえば、私の言わんとすることがよく分かるのではないだろうか。

関係詞が定着しない理由原因は、確かに、中学校段階での指導技術の稚拙さにあるのかもしれない。でも、多くの現場の (あえてこの「現場」という用語を選んでいます) 教師は一生懸命に指導しているはずです。でも、必ずしも上手くいっているわけではない。では、教師は何に「気づく」ことが大切なのか?何から変えていけばよいのか?加藤先生は、こうも言っていた。

  • 私たちはEFLのプロとして通用するだろうか?
  • 「文法説明・訳読」に必要な英語の教養や文法力を持っているだろうか?
  • 文法を常に学びなおす姿勢を持ちたい。

そして、このようにいうことも忘れてはいない。

  • ことばはまじめなことのためだけに存在するのではない。英語の先生には、まじめすぎる人が多い。まじめなだけではダメですよね。

この、「厳しさ」と「赦し」のバランス加減が絶妙。(余談ですが、「これに残らないと一生後悔するよ」と言って何人も誘った懇親会には二次会もあり、加藤先生は大津先生とカラオケでデュエットされていました。肝心な場面を聞き逃した私の方が一生後悔するかも知れません…。)

今回のフォーラムに参加した教師一人ひとりが、「英語の語感を磨き、英語を楽しみ、英語を楽しむ時間が持てる勤務環境と研修」を手に入れるための契機となっていれば、こんなに嬉しいことはない。
最後に、加藤先生のレジュメのことばを引いて、振り返りを終えたい。文脈を離れて一人歩きすることを危惧するが、恐れてばかりいては先へ進めないので敢えて記しておくものです。
多謝深謝。

  • 外国語とは何か、外国語を学ぶとはどんなことかを体験として気づかせ、習っている外国語に興味を持たせ、母語で語る自分や日本文化を客観的・相対的に捉えさせ、それを外国語で表現すると何をどのように伝えるべきかが変わることを学ばせ、母語以外の言語で異なる文化背景を持つ人びとと対話することに意欲を持たせ、英語がうまく使えないことに卑屈な気持ちはもたないが、(使えることに過大な価値を持たず) もっと自由にコミュニケーションできるようになりたいという目標を持つように指導する。そして、できれば日本語を母語としない人が日本で働くとき言語・文化両面でどれほどの苦労があるかを想像できる力と人権感覚をもって育つように。

本日のBGM: Secret God (Neil Finn)